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感想のすゝめ

感想をまず自分で書いてみようという話


作品の感想を書けーーーっ!!

ここで言う「感想」とは、いわゆる同人誌等の二次創作にまつわる「感想をもらえないよ~!!😭」系の話ではなく、
商業作品を見たときのおのれの感想を書きなさい、という話である。


なぜ書け、という強めの言葉を用いるかというと、
あまりにも「自分の感想に自信がなく、人の意見に左右されがち」な人(人とはオタクのこと)が多いんじゃないか…と感じているからだ。
あくまで、私はだが。


私は長年web拍手を設置しているが、本当にしょっちゅう「先生の感想が読みたいので、○○という作品を見てくれないか」という匿名のメッセージが来る。
まあそれくらいであれば…文章を書くこと自体は苦ではないので、アラァ~❤️読みたいと思ってくれて、うれしいっ!☺️と思うこともあるのだが、
「先生の感想で××を流行らせてください」
「アンチを黙らせたいので△△のいいところを教えてほしい」
「私はうまく書けない。代わりに感想を書いてほしい」
などについては、
オ…オイ!!お前ら!!!人の脳みそをあてにしすぎだろ!!とブチ切れそうになっている。
せめて自分はこう思ったのですが…とかなら…わかるんだけど…。
そんな非常識な人がいるんですか…😭💦的なリアクションをする人も多いとは思うが、マジで多い時は普通に3日に1度は来ていた。

そもそも私が流行らしたコンテンツなんてないし、(そう見えたのだとしたらそれは作品の力とファンダム全体の潮流である)
それが狙ってできるなら私は闇のインフルエンサーとして企業案件で猛威を振るい、
その儲けで品川駅から徒歩10分圏内のマンションで暮らしているだろう。




ただ、気持ちがわからないわけではない。
瞬時に他人の感想が飛び交う大SNS時代、人に己の感想が左右されないという方が難しいのだ。
自分の知っている人が同じような感情を抱いていれば嬉しいし、
自分が気づかなかったような考察をしている人を見かければ、えー、私は何もわかっていなかった…とガックリしたりする。
一人の感想が大バズりしたコンテンツには次から次へと「面白そー!アーシも感想言いたいよーん!!」とオタクが駆け付けるわけであるし、
そういったゴールドラッシュに発展する可能性を秘めたこのインターネットにおいて
己のツルハシ(感想)が貧相なものなのではないか…?という疑心暗鬼に陥ることはまったくあり得る話であろう。


違う!!
感想は、あくまで作品を受けた己の心の動き、感情に誠実であればそれでいい
先述した通り商業作品に対する感想、クチコミがコンテンツを延命させることもあるだろう。
初見の感想うめぇ〜笑笑とオタクが外野から楽しむという盛り上がりもあるだろう。
しかしながらまずは、作品と己の間に何物をも挟まずに、作品を受け止めた心に向きあってほしいのだ。
あなたの感情はコンテンツを発展させるための肥やしではないはずだ。


作品を一度見ただけで、正確にオマージュや隠喩まで読み取り、
類まれなる語彙力やキャッチーなフレーズを操り感想を書く人もいるだろう。
だが、誰もがそんなことはできなくていいのだ。
面白かったーとかつまんなかったーでもいい。なんか集中できなかったとかでもいい。
何物にも左右されないファーストインプレッションを大切にするべきだ。
そのあとで人の感想を読んで、えー!?そうだったんだ!とかいやそれは違くなあ~い!?私としてはさあ!とか思えばいい。
肝要なのは、「あなたが抱いた最初の感想は、ほかの感想によって上塗りされるものではない」ということだ。


私は面白いと思ったのに、みんなは文句を言っている…と孤独を覚えることもあるだろう。
私はクソつまんなかったのにみんな絶賛してる、と怒りを抱くこともあるだろう。
色々見たり聞いたりしたうえで、作品に対する印象が移り変わることもあるだろう。
その心の動きこそ「感想によるコミュニケーション」である。感性を否定しあうこと、
相手を完璧に言い負かすような「正しい感想」(そんなものは幻想だが)を抱くことが正解ではないのだ。



まあ色々書いたが、感想を書くということは己の心を客観視することにも繋がるのである。

例えば「○○面白かった~!最高!」と思って映画館や劇場を出た瞬間ルンルンでTLを開くとする。
そこにはフォロワーが「○○見ました。本ッ当につまらなくて辛かった…」とツイートをしている。
モヤモヤする。激しいショックを受けてしまう。フォロワーをミュートしたいとすら思ってしまう。
好きな人もいるってどうして思わないんだろう?関係者の人が見たらショックを受けると思うのに、ポジティブな感想だけ呟けばいいのに…。


例えば「○○おもんなすぎてビックリした、制作陣の気持ちがまるで分からない」と思いながら映画館や劇場を出た瞬間絶望しながらTLを開くとする。
そこではフォロワーが「○○最高~~!!○○のオタクで良かった、客のために作られた幸せな作品だった!!褒めるところしかない!」とツイートをしている。
ビックリする。ほんまに同じ物を見たんかと思う。フォロワーをミュートしたいとすら思ってしまう。
あれの何が面白かったんだろう?じゃあ私は客じゃないの?同じ価格を支払っているのにどうして私は幸せになれなかったんだろう?
私が悪いのか?


まずは自分の心と向き合ってほしい。


つまらなかった、なぜか?
→画面が暗かった、私は画面が暗い作品が好きではない。
脚本に救いがなかった、つまり私は救いがある作品が好きだ。
ギャグが寒くウケなかった。
原作から受け取っていた印象と、この媒体における印象がズレている。
つまり私は原作についてこう思っていて、メディアミックスするならばこういうものが見たかった、それが見られなかった。


めっちゃ面白かった!なぜか?
→私はこのキャラクターが好きで、たくさん活躍して嬉しかった。作品の良し悪しが推しの出番によると思っているのかも。
過去作品のオマージュがいっぱいあった。私は長年のファンを大切にしてくれるコンテンツが好き。
音楽が心地よかった。この作曲家と相性がいい。
私はこういうポイントに価値があると思っていて、それを作品から持ち帰ることができた。


心を細分化して客観視することで、自分の中の価値観が見いだされていくのである。
こうすることで、人の感想についてもうまく距離を取っていけるようになるではないかと思っている。
要するに、「カクシカで最高だった!」と思っていれば、「カクシカ(まったく同じ理由)だからダメだった…」と言っている人を見たところで
なるほど!そこの価値観が絶対的に違うんだなァ?!と多少なりとも納得がいくのではないか。
そこをエーーなんで~!?カクシカなのに良いorダメと思うなんて…おかしいよォ!と噴きあがるのも無意味であろう。
自分の価値観を見つめることは、人の価値観をも尊重することにも繋がる。
そんなことはそもそも感想を書くに限ったことではないが、大切なことだ。


繰り返すが、感想を書くということは「正しい感想」を追い求めることではないのである。


そんなこと言っても感想なんて書けないよ〜という時に

・まずは公開しない文章やあまり読ませるつもりはない文章を書いてみる

→人に見せる、読ませるにはそれなりに書き方やテクニック、マナー、配慮が生じるため。
公開するのであればその時に気を付ければいい。
思うがままに書く文章というのは結構楽しい。
書くだけ書いてお蔵入りさせればいいのだ。日記ってそういうものだし。


・面白かった、つまらなかった程度でもいいので自分の心の動きについてメモしてみる。

→見ているときは面白かったのに後からモヤモヤしてきたとか、あのシーンは好きだったとかでもいい。
いきなり完成しなくていい、大事なのはファーストインプレッション。


・なぜそう思った?を掘り下げる

→あのシーンが意味が分からなかったので嫌だった、この演出がすごくワクワクした…音がでっかくて景気が良かったなど。なんでもいい。
推しの横顔がキレイだったとかでもいい。


・掘り下げたところは、自分にとって大切な価値観が眠っている箇所

→女性が乱暴に扱われてイヤだった。フェミニズム的な視点が軽視されている作品は楽しめない?
服装が鮮やかだった!舞台美術や衣装に力を入れている作品が好きなのかも。
こういうジャンルは苦手だと思っていたけど、3次元ではなく2次元コンテンツだと案外楽しめた。良くも悪くも現実性に意識が行ってしまう?


ある程度つらーっと書いてみて、そうしてようやっと人の感想を読んでみる。
同意すること、まったく相いれない意見、見落としていた要素、思いもしなかった考察などたくさんの驚きや変化があることだろう。
そのあとで、自分のファーストインプレッションの下側に「追記」していけばいいのである。
「上書き」ではない。しつこいようだが、
【ファーストインプレッション】と【いろんな感想を読んでみて思ったこと】は別物でいいのだ。

私が公開する感想を書くときに気を付けていること


・便利なフレーズや定型文をあまり多用しない

作品のセリフパロディや引用は息をするように使ってしまうのだが、例えば○○はいいぞ!とかである。
別に使ったっていいのだが、便利なフレーズは便利なあまり使った時点で自分の自我がかき消されることがある上に、
読む側にとっても「あ、便利なフレーズだね。」という気持ち以上でも以下でもない印象になってしまいがちである。
ぜひこの作品を人におすすめしたい!と思って感想を書くときは、
多用すると「そういうダイマのテンプレ」という枠に収まってしまう可能性があるので特に気を付ける。



・ほかの感想を否定しかねないデカい主語は書かない

「こんなん誰が得すんねん」とか「嫌いなやつおらんやろ!」とかである。
ど~うしても、わかってはいるけど意図的に素直な感情の吐露として使いたい時は
「こんなん嫌いなやつおらんやろ!!(デカ主語やめてください。迷惑です。)」とかセルフツッコミをしておく。


これは別に…互いにリスペクトするべきだよねっ!!✨☺️とかではなく……まあリスペクトすべきでもあるのだが…。
こういった他者攻撃的であったり、これこそみんなの総意!的なことを書くと一気に感想の「純度」が濁ってくるからである。

作品と自分、自分と他人の自他境界線が曖昧になりがちである昨今、
他人の文章に自分の感情と反することが書かれていた場合反射でカッとなってしまうことはよくあることなのだ。
要するに読む側が「私が…攻撃されている!?!😡」と勘違いしてしまう隙をできるだけ生まないようにしている。
主語をとにかく“私”はこう思ったにすること。
こうしておくことで万が一怒られたとしても「“私”はつったろーが!」と思えてラクになる。
怒られ過ぎた人間のしぐさすぎて我ながらムカつくのだが、怒られないに過ぎたことはないので……。



・感情の偏りを確認してみる

もうめちゃくちゃ文句しか浮かばなかった時、逆に面白すぎワロタ、ラッピー!!になっている時は、
ファーストインプレッションはそれで固めておく。

その上で全体を一度俯瞰し、「あそこは良かった」「1点気になるとするなら」という箇所がないかについても考えてみる。
感情を細かく小分けしていくことで、
他人の感想を見て「あの映画を絶賛するなんてセンスない…!」
「こんな最高の作品に文句言うなんておかしい…!!」という己の無駄な噴きあがりをブロックできる。

私は特に感想・感情が暴走して突っ走りがちなタイプであることを自覚しているため、
感想をまとめなおす際には意識的に、本当に100%その感情だったかな?反対感情はないかどうか?確認する癖をつけている。
よく考えたら倫理観的にアウトなんだが、この作品では気にならなかったなということも自覚できるように気を付ける。
倫理観については現実社会で生きていくうえで守らなくてはいけないこと、フィクション内では存在しうることなど意識する。
別に感情は偏っていてもいい。自覚さえしていれば。



・違ってたな!ということについては素直に需要する

感想を書いた後、人から「ここの解釈は違うのでは?」「ここは違いますよ」といったご指摘をもらえることもある。
その場合、確かにーーー!!と納得できれば柔軟に取り入れてもいいし、
こういうご指摘があった!!ありがたい、でもここはまだ納得しかねるかも!?と分けてもいい。
反射で判断しないことが大事。
ただ、自分の感想が間違ってたということはない。


・解説、パンフレット等を読んで理解したことはあくまで感想とは別で良い

演出意図が分からなかった、伏線に気づかなかった、オマージュ元を知らなかったが解説を読んで理解できた場合、
それらを理解する前の感想を撤回する必要はない。
基本的に表現というのは発信者・受け取り手の間に横たわるコミュニケーションであり、コミュニケーションの失敗はなんにでも起こること。
発信者の努力・受け取り手の努力が両方に必要な作品もあるし、発信者のコントロールが巧みでなんの齟齬もなく成功することもある。
ただ、あくまで私は、商業作品において発信者は受け取り手に「お金を支払う」以上の努力を強いて…というよりは求める気でいてほしくないな…と考えている。
要するに、「解説を読むまでわかんなかった」は基本的には発信者の失敗か、わからなくてもよい(わかってくれたら嬉ぴいな〜)くらいのエゴである、と思う。


その上で、へえっスッキリした!もう一回見てみたら確かにそうかも!と切り替えて楽しむのも一つの娯楽だなと思う。



感想を書いてください

ずらずら書いたが、私は人の感想を読むのが好きなのである。
だから、書いて欲しい。同じ作品を見たとて、同じ人生を歩んで同じ目を持って同じ言葉を用いて心を書き出す人は自分以外には存在しないのだから。
感想を書こう。

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