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対馬国紀行 附・博多湾の島々

2024年10月19日、私は離島巡りが趣味のフォロワーさんを誘い、長崎県は対馬市厳原町へ行ってきました。
日帰りのため滞在時間は長くはありませんでしたが、行き帰りのフェリーも含めて非常に有意義な旅となりました。



博多→対馬(フェリーちくし)


旅の始まりは深夜の博多港。博多埠頭第2ターミナル2階で九州郵船フェリーのチケットを購入します。

チケット購入前に乗船申込書を記入

今回利用するのは博多港0:05発、厳原港4:45着のフェリーちくし。一番安い2等自由でこの時の運賃は5070円(学割で4140円)です。

時間になったので乗船。2階から1階に降ります。客室はこんな感じ。

場所取りをしたあとは毛布(1枚50円)を借りに行きます。床は硬いので、毛布は掛ける用と敷く用に2枚借りました。
出港から15分ほどすると、客室内の照明が常夜灯に切り替わりました。といってもまあまあ明るい…。

深夜2時過ぎ、壱岐芦辺港に寄港。約半数の人がここで下船していました。

まもなく対馬へ向けて出港。

そして早朝5時前、対馬厳原港に到着。

このタイミングで下船するか、7時まで船内に留まるかを選べます。私は後者を選択。やって来た乗務員さんにチケットを渡し、2時間ゆっくり過ごしました。
ちなみに船内には給湯器があるので、カップ麺を食べることもできそうです。

船内を散策


対馬上陸

朝7時、下船。対馬国初上陸!
といっても時間が時間なので、フェリーターミナルで時間をつぶします。

そもそも今回対馬に来た目的が何かというと、対馬博物館の特別展「アンゴルモアの世界-照らし出された対馬の元寇-」です。日帰り行程で車も使えないため、博物館に行って、厳原の中心部を少し歩ければそれでいいかなという計画でした。帰路は15:25厳原発、20:10博多着のフェリーを使う予定だったのですが…
ちょうどこの時日本海上空に寒冷前線があり、大時化が予想されるため当フェリーの運航は未定という情報が。これは時間を早めて、高速船で帰るべきでは…
幸いまだ空席があるとのことだったので、10時の券売開始時間まで待って13時発の高速船の席を確保しました。

ほっと一息ついたところで、博物館へダッシュ。
ついにお目当てのアンゴルモア展へ…!

対馬博物館 特別展「アンゴルモアの世界」

宗氏の流れ旗がはためく

写真撮影とSNS掲載可ということなので、いくつか写真を載せていきます。

●カバーイラスト

●モノクロイラスト
たかぎ先生は、線画までモノクロで描いているそうです。美しい…✨✨✨

推しが尊い。

●制作過程動画
こちらは撮影禁止のため写真がありませんが、アンゴルモア元寇合戦記ができる過程を映像で知ることができとても興味深かったです。

●作業机再現コーナー

その名の通りのコーナーなのですが、何といってもすごかったのが、たかぎ先生のスケッチ資料!
鎌倉時代の風俗を手書きの絵で細かくメモしたもので、めくって中身を見ることができました。

本当に頑張って来てよかったと思える展覧会でした。

常設展を観た後、厳原の街をぶらぶらしながら港へ戻ります。

厳原街歩き

●対馬市役所

対馬市は2004年、島内の厳原町・美津島町・豊玉町・峰町・上県町・上対馬町が合併して誕生。今年でちょうど20年

●厳原郵便局

韓国との繋がりが深いんですね…。

●観光情報館 ふれあい処つしま


国道382号:長崎県対馬市→壱岐市→佐賀県唐津市


そして厳原港到着。

15時発のフェリー、壱岐郷ノ浦止まりに…!
高速船のチケット取っててよかった。ほっ。
ターミナルは、この日の博多行き最終便に乗る人でいっぱいでした。

九州郵船の紙袋欲しすぎたので80円課金


対馬→博多(ヴィーナス2)

ジェットフォイルヴィーナス2に乗船。

13時、厳原港を出航。博多までは2時間。

室町期、筑前の少弐氏が何度も渡ってきた玄界灘。

心細くなるほど雄大な自然の中に時折顔を見せる人間の営み、なんだかほっとします。

14時20分頃、壱岐芦辺港へ寄港。

対馬〜壱岐間は2階席の乗客はまばらでしたが、ここで船内はほぼ満員に。

芦辺港を出航してすぐ、左側に島が見えてきました。
これ実は、福岡市に属する離島・小呂島なんです。

福岡市の姪浜港からフェリーが出ているのですが、観光で行くにはなかなか難易度が高い島(海上の状況で帰りの便が欠航になることもしばしば)。
そう聞くと俄然行ってみたくなるのが地理好きの性…フォロワーを用心棒にしていつか訪問します。

そこから20〜30分ほどで博多湾へ。

相島
玄界島


志賀島、海の中道、西戸崎

海を眺めていて非常に気になったのが、西戸崎の南にあるこの小さな島。端島(はしま)というそうです。

あるのは灯台くらいかな。


そして15時15分、博多港に到着!
なんとか無事に帰ってくることができました…!

海から見る都市高速は新鮮。
初御船印は九州郵船🚢

旅の締めは博多で牧のうどん。出発時からなかなかスリリングな旅で期待と不安でずっとドキドキしていたこともあって、コロッケうどんの美味さが五臓六腑に染み渡りました…。


おわりに


今回の対馬訪問、天候による急な予定変更で実質的に活動できたのは3時間ほどでしたが、行きたい場所はすべて訪れることができたので個人的には大満足です。
そして博多湾の外に出て、外から博多湾に入港するのも初めてでした。まだ明るい時間だったので博多湾のいろんな島を見れたのもよかったかなと思います。
玄界灘を渡って対馬まで行ったことで自分の中での船旅のハードルがかなり下がったので、次は壱岐に行ってみるつもりです。そして車を運転できるようになったらまた対馬も再訪して、金田城跡や上対馬も…!

戦利品

お読みくださりありがとうございました。


(追記)対馬府中藩、対馬藩田代領について

●対馬府中藩
対馬国府中(対馬市厳原町)に藩庁を置く。対馬藩とも呼ばれる。藩主は宗氏。
領地は対馬島のほか、肥前国基肄・養父郡にも(田代領)。
明治2年(1869)の版籍奉還後、府中を厳原と改称し藩名も厳原藩となった。明治4年(1871)7月廃藩置県により厳原県となり、9月に伊万里県、5年5月に佐賀県となった後、8月に長崎県に編入された。

『国史大辞典』「府中藩」より部分引用

上記の肥前国所在の対馬藩田代領は、現地に行くと今もその名残を見ることができます。
それがこちら。

(2024年6月1日訪問)

福岡県筑紫野市原田と佐賀県基山町の境界(国道3号の西側歩道)に建つ、国境石の一つです。「従是東筑前国」の石碑の裏に実は「従是西肥前国対州領」と刻まれたものがあり、このあたりが対馬藩の所領であったことがわかります。

文化4年(1807)の建立

この国境石は移設されたもので、現在「田代」と付く地名は鳥栖市にみられます。

対馬藩田代領を訪問したからには本藩のほうも…という気持ちがあったので、この機会に厳原を訪れることができて嬉しく思います。

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