ピアスの話①

取り合えずファーストピアスまでのお話のダイジェスト

おお~い、ピアスは好きか~~~~???

私はとんでもたっぷり大好きだ。
毎日鏡の前で「私の耳かわいい~~~!!リップピアスもいかしてんな~~~!!」とワクワクが止まらないってもんである。現在左耳は7個、右耳は3個、リップに1個の計11個のピアスが着いている我が体がもうかわいい。最近排除が進みマディソンを外したが、またここも開けたいし、お臍や肩にも開けていきたい。耳だってまだまだ。どこに次を開けるかと考えるのは私の楽しいことの一つだ。
こんなにとり憑かれるように好きなピアスだが、私が実際にピアッシングを始めたのは27
歳と遅めである。一般的には高校デビューや大学デビューで開けるものであること多いのではなかろうか。当時の私は親の目や田舎ならではの社会の目、そしてなにより自分の「いい子ちゃんでいたい」という気持ちに負けて開けることはなかった。当時のアルバイト先や勤務先には服装規定もあってなかなか機会にも恵まれなかったというのはあるのだが、やっぱりいい子ちゃんへの執着にも近い強迫観念が最も大きかったのだろう。
それが取っ払いたいというきっかけになったのは27歳で実家を出たことだ。親の目もなく、幼いことから自分を知っている人もおらず、無駄に噂も回らず。私にとってはありがたい無関心の世界に飛び込めたことで、まあ簡単に言うとはっちゃけた。敬愛するaikoにまんまなりたいと前髪ぱっつんで似合いもしないワンピースを着てみたり、痛々しいにもほどがある。人が多いこともあってしがらみや派閥があっても直接自分に関わってこないこともあって、本当に哀れなほど私は弾けていた。そんな時、私は仕事中に自分の不甲斐なさでお客様対応中に泣き出すという失態をやらかしたのだ。上司が飛んできて一緒に対応してくださったこともありお客様はため息をつきつつも大きなトラブルにはならずにお帰りになり、上司からの配慮で小休憩をいただき落ち着くまでトイレに引きこもった。本当に私の頭の悪さが招いたことであるのだが、脳内が大パニックかつ無駄に高いプライドのせいで羞恥が止まらず残りの事後と時間は苦痛であった。
帰宅してもそれは変わらず、「よっしゃピアス開けてやろう」と思ったのだ。
突然すぎる。本当に突拍子もなくそう思ったのだが、今思えばこれは自傷行為なのだろうと思う。
しかし当時の私には名案のなかの名案であるように思えて、ちまちま調べていたピアッシングをしてくれる病院のなかから予約をし、翌日の午前11時にはファーストピアスとして左右一個ずつ開いていたのである—。
これを皮切りに私の耳はピアスまみれになっていく。病院で開けてもらったのは次の左耳の一個までで、そのあとはセルフでのピアッシングになり増えていくのを止められなくなる。
最初はaikoとおそろの8個開けたら打ち止め♡とか言ってたのに・・・マディソンで9個めを開通させたとたんネジがすぽぽーんとどっかに行ってしまった。耳の内側部分の軟骨も増やして~~~!!つよかわな耳にして~~~!!とピアス系YouTuberを見始めたのが決定打で歯止めなんてもんは消え去った。
セルフピアッシングは多様なトラブルもあり、それを乗り越えたことでかわいいかわいいハピネスかわいいは止まらない。このトラブルやわけわかめ話もいつか書いてみたいもんだ。
人によっては痛々しい(物理)な話かもしれないが、私にとっては最高に面白おかしいお話である。
あと今も私を苛む自傷行為や破滅願望についても書けたら私の救いになったらいいのだけど・・・。

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