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アヒル隊長の死 男性育休記65/68
ここまであまり語ってこなかったが、「子どものお風呂」を存分に語りたい。
0歳児は、かなり楽である。まず、風呂に入って自分を洗う。配偶者に0歳児を持ってきてもらう。0歳児を洗って、一緒に湯船に浸かる。配偶者に0歳児を回収してもらう。自分が出る。都合10分弱で全てが終わる。これがワンオペ時は、風呂場にそれ用の台を置き赤子を据えて、その隙に高速で自分を洗うという感じになるが、まあ苦労はたかが知れている。全体的にいまのところ大人しいし、叛逆の意志を持たないので最後まで常にスムーズだ。風呂上がり、赤子は保湿が大事らしくなんか色々塗られまくってテカテカニコニコしている。
問題は2歳児である。叛逆の意志を持っているというか、叛逆の塊である。
まず、「お風呂入ろう」のコンセンサスを取ることが非常に困難だ。「まだあそぶの」と言うし、「はいりたくない」とも言う。ここの合意が形成されても「パパはいる」「ママはいる」の2択があり、ここもコントロールできない。基本的にこれまで(私が育休を取る前)は平日は妻が、土日祝が私が2歳児担当をしていたが、土日でも妻と入りたがったり、平日でも「パパもうすぐ帰ってくるよ」と妻が言うと20時でも21時でも私が帰ってくるまで入浴せず待ち続けたりと難しい。また入ったは良いけど、入ったら今度はいつまでも湯船で走ったり出てみたりお湯かけてきたりと遊び倒し、30分してこちらが先にのぼせることもある。とにかくままならないのだ。
0歳児と2歳児同時になるとさらに複雑化し、妻の負担は増大。妻は妻で自分の保湿とかをしたいのだがそれがなか中でままならない。塗ってテカテカできない。
なのでせめて私が育休の間は、2歳児をまるっと引き受けたい。本当にそう思う。
だがなかなかそうもいかない。なかなか私を選んでもらえないのだ。
じゃあ、どうするか。
説得?そんなノーコストで言うことを聞くなら最初からやっている。
「いや、そんなもん、力づくで入れてしまえばいいではないか」と腕力を推す素人の方もいるかも知れないが、それも違う。ツルツル滑る浴室において、手足をバタバタ動かす子どもを互いに無傷で制圧するのは不可能に近いし、できたとして虐待を疑われる声量で泣くだろう。
やはり大人として、金にモノをイワすしかないのか。
あの「中にオモチャが入っている入浴剤を用いる」はどうだろうか。固形入浴剤の中央に、ごく小さいオモチャが混入されているアレである。皆さんもどこかで見たことくらいあるだろう、オレンジくらいサイズの入浴剤がシュワシュワ溶けて、最後にオモチャが残るやつだ。1個300〜500円くらいというキチィ価格設定だが、これを買いまくろうと思った。父と入るならこれが使えるということをPRするのだ。
しかし、いざ、買おうとして予想外のことが起こった。
「シュワシュワ、こわいの」
まさかの、シュワシュワ恐怖症である。
そういえば、1歳になったくらいの時これでギャン泣きしたのを思い出した。以来たとえばイオンで、あるいはトイザらスでこれ系の入浴剤を見つけるたびに「今日これでお風呂入ろっか」と問うと、明確に「シュワシュワやだ」「シュワシュワこわいの」と怯えるようになったのだ。これが何かはっきりと分かった上で、しっかり拒絶している。
金にモノをイワすのもダメか、万策尽きたかと思ったが、イオンの果てに希望の光を見つけた。
希望の光。それはアヒル隊長である。
これがどのような商品か説明しよう。まず、アヒル隊長部分は、中が空洞になっている水色のプラスチックボートの上蓋に接続している。ボート内の空洞に「きき湯」の粒々をねじ込み、蓋をする。そして湯船に放つと、メッシュ状になったボートの下面からお湯が入ってくる。入ったお湯が粒々こと炭酸水素ナトリウムを溶かして二酸化炭素を排出することになるのだが、下は湯面、前と右と左と上も密封されており、二酸化炭素の逃げ場は後ろ側のスリットしかない。スリットから猛烈な勢いで泡が放出されるとアラ不思議、作用反作用の法則によってボートは前面に推進するという構造だ。極めて中学理科の教材にしたいようなシステムになっている。
これだ!と私は思い、値札も見ずにアヒル隊長セットを購入した。結構高いなとあとで気がついたがまあいい。
帰宅して、良き時間に箱を2歳児にチラつかす。
「今日はアヒルさんと入ろうか、お風呂…」
「パパはいる!」
しめしめ、私はアヒル隊長にきき湯の粒々をセットした。ちなみに同じ空洞に、同業他社製品である花王のバブをねじ込もうとしたところ完全に無理であった。バスクリンさん、それはちょっとアコギなんじゃないのかと思ったがまあいい。そういうこともあるでしょう。
しゅわしゅわしゅわ…
「あっ、アヒルさんが進んだよ!すごいね!」
「アヒルさん!」
喜びもつかの間、2歳児は残念ながらそこまでアホではない。
アヒル隊長ボートの後ろ側から白濁していく湯船を指して、彼は言った。
「これ、シュワシュワ?」
非常に、鋭い、ご指摘である。
緊張が走る。
ここ大事だぞ芳川、ここの問答ですべて水の泡になるぞ。シュワシュワだけにね。いや、うまいこと言ったつもりになってないで、2歳児に真剣にレスを返さないと。いくぞ!
「これはシュワシュワじゃないよ」
「シュワシュワじゃないの?」
「これは、アヒルさんが進んだときの、絞りカスというか…」
「しぼりかす?」
「絞りカスは良くないな、ああ、そうだ、ほら、トーマスあるでしょ、きかんしゃトーマス」
「うん」
「石炭入れるでしょ。走るために」
「せきたんいれる」
「そんで、走る時トーマスの煙突から、モクモク、出るでしょ」
「モクモクでる」
「まあそう、だからこれはまあ、モクモクだな。石炭を入れて、モクモクが出ている。だいたいトーマスと一緒。シュワシュワじゃない」
「シュワシュワじゃないの?」
「パパの目を見てごらん。これは、シュワシュワでは、ない。だから、こわく、ない」
「こわく、ない」
最後は顔芸にモノをイワしてしまったが、こうして我が家には、アヒル隊長ボートを用いて私が入浴優先権を得ることに成功した。長い道のりであった。
だが、残念ながら3回目くらいだろうか。父に似ず、ちょっと聡いところがある2歳児は「ママと入ってもアヒル隊長はできる」というこの世の真理に気づいてしまった。ママの時も使い始めたいま、アヒル隊長はただ「ジャブはいる」の誘因にしか使えてない。
存在意義が揺らいでいる。
そんな私の思いを嘲笑うかのように、2歳児さらにとどめを刺してくる。ある日突然に「湯船に入れずに洗面器内でお湯を入れてアヒル隊長を出発させてひとしきり泳ぎせた上で、きき湯が溶けた湯を全て捨てる」という邪智暴虐の限りを尽くすようになったのだ。たぶん、湯が濁るのが嫌なのだ。
いよいよ、看過できない。
私は、にんじんの皮、大根の葉を使い切ることに並々ならぬ情熱を燃やす、根が貧乏な男だ。戦争を生き抜いた祖母に「もったいない」を骨の髄まで叩き込まれたしみったれだ。
だから、まあそんなシステムではないのは分かっているのだが、ほっかむりを被ったおばあちゃんが、一つ一つ「きき湯の木」から粒々をもいでいる、などと一度考えてしまうと、その「きき湯農家」のおばあちゃん、名前はキヨ、キヨ婆の顔がチラつき始めてしまうと、2歳児の邪智暴虐を見過ごすわけにもいかない。といっても、こんな意味不明なロジックで2歳児を叱って、余計に風呂と父を嫌いになってもらっても困る。だってキヨ婆は居ない。多分というか絶対に工場で作っている。
結論としては、アヒル隊長は目に見えないところに仕舞うことにした。
名誉の戦死である。
あなたは何も悪くない。申し訳ない。私が何もかも早計であった。市場を見誤った。バーチャルボーイくらい早かったのだ。
それでは…
隊長に、敬礼っ。
直れっ。休めっ。
はい、では、今日は、解散っ。
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