見出し画像

日和とフィーカ〜8杯目〜

冬の磁石

今日は深酒しすぎた影響なのか、目覚ましが叫びだすより少しだけ早く目が覚めた。カーテンを開けると、天気予報を裏切らない晴天が部屋を覗き込み、その瞬間の眩しさに少し顔を顰めてしまう。まだ夢現のリビングと外界の色彩が次第に混ざり合い、今日という1日が始まったことを自覚させられる。本日は12月24日、クリスマスイブだ。とはいってもどうと言うことない、いつもと何も変わらない1日が始まっただけである。
「どうとでもない」という通りに特別な用事もなく、唯一にして絶対のタスクは、しばらく予定の合わなかった美容院に足を運ぶことのみであった。今年を終えるまでには、と思っていたので、たまたま直前に予約が空いていたのは運が良かった。これでもっさりとしたまま親族に会わなくても良さそうだ。
寝癖を抱えたまま玄関をくぐると、身体が外気に包まれる。本日は気温の割にはそこまで寒くもなく、真冬の装いをして歩きまわるにはむしろ暑く感じる陽気だ。そう感じるのは僕だけだっただろうか。いつもの癖でポケットに手を突っ込み、屋根の隙間から覗く可部の山を眺めながら駅へと向かう。いつしかこの光景も僕の目に馴染んできたように感じた。

街へ出るにはバスか電車かの2択だが、本日は時間に余裕もあったのでバスを選択。世間に倣って浮かれていたのか、予定時間を随分とすぎてバスがやってきた。なるほどこれがクリスマスですか、と思えるような憎いほどのサプライズを抱えて。

紅茶専科 紅一門

バスに揺られて市内へと下っていく。前日はバンドの年内ラストのステージがあり、その余韻と反省を頭の中で巡らせていた。しばらくすると通路側から「あの…、」と声をかけられた。車内も混み合ってきてるなと身を窓側に寄せた。するとそこに座るわけでもなく言葉が続く。

「まちがっていたら失礼なんですけど、しんや君?」

お?ライブを見てくれた方だろうか?と顔を上げた。
するとそこには小中学校の同級生の姿があった。思いもしない再会で言葉が出てこない。そしてきょどる、どもる。「あっ、えっ?」しか言葉が出てこない。なぜこんなとこにいるんだ。と言うとまあ相手からしても同じことか。実に20年弱ぶりの再会だ。家族を連れている。クリスマスなので近場のショッピングモールまで足を運んでいるとのことだ。
その人はもう数分で目的地に到着する。束の間の時間で互いの記憶を擦り合わせた。不思議と一度も思い返したことのなかった記憶も案外スルスルと出てくるものである。慌ただしくあれこれと話してはいたものの、重なる会話の隙間から冬の匂いが漂ってくる。あっけなくバスは推進力を失い、前方のドアが降車を促す。二人の会話は小銭と共に飲み込まれていく。別れ際の言葉はありきたりのもの以外にはなり得なかった。「またね」はその空間に浮かび上がり、バスの出発した途端はるか後方に置き去りにされた。ただその時間を通過した間に呼び起こされた記憶は、言葉に起こせない香りとなって車内を満たしていた。

ふわふわと落ち着かない自分を抱えたまま美容院終えると、友人からお茶の誘いがあった。どうやらこのクリスマスイブ当日に暇を持て余しているらしい。
寂しいやつが2人でも集まればもう寂しくはないだろうという希望的観測をもって、その日の昼間のスケジュールを埋めた。特にクリスマスに予定がないことに対して何の感情も持っているわけではないのだが、この日に何か用事があると言うだけで、得られる無敵感は計り知れない。

本通りの人並みを縫って歩き、キラキラした街並みの中、一際灰色の空気を醸し出し佇む友人を発見する。世間に置き去りにされているのは僕だけではなかったとあまりよくない安心感が芽生えたことをはっきりと記憶している。そのまま数分歩くと友人セレクションの店が顔をだす。

想像以上のお洒落カフェである。
なるほど紅茶専門店ですかとメニューを眺める。様々な商品が名を連ねているが、それぞれの説明書きをみてもブレンドティーを嗜んだことがないため、イメージが全く浮かんでこない。顔を上げてみると、全く同じようにしっくりこない表情でメニューを眺める友人が忙しくメニュー表を捲り続けていた。それでこそ僕の友人だ。
結局大体の好みで商品を選び、せっかくだからとスイーツのセットで注文した。「紫紺」という6種のフレーバーのブレンドだ。普段からそれほど紅茶を口にするわけではないので月並みの感想となってしまうが、ブレンドだからこそ風味のまとまりと、複雑な立体感を生み出すこそができるのだろう。混ざり合う香りの中でも、ふと単品としての香りが顔をちらつかせ、またそのブレンドの中に隠れてゆく。楽しみ方が辿々しいままではあったものの、しっかりと満喫できるというのも不思議なところである。また機会がある度に何度か通いながら少しずつ紐解いていけたならその度に様々な楽しみ方を覚えられるのだろう。

熱にあてられて脳幹まで届いていた香りは、また何かしらの色を帯びて身体を染めていくが、ポットから紅茶を注がれる度に徐々にその温度は下がっていく。その香りは液面から飛び立つことができずにその内側に潜むことしかできない。しかし冷めた紅茶を口にすると、僕はその暖かさと香りを思い出すことができる。僕は少し安堵した。
その暖かさは忘れられたわけではなく、ただ時間の経過と共に熱を失っていただけだった。そしてそれはなんとも自然なことなのである。

一息つくと僕は友人にバスでの出来事を話し始めた。
その言葉は冬の匂いを孕み、僕の周りにほんのりと広がっていった。


〆。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?