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日和とフィーカ〜1杯目〜

前書き:僕たちの日々

 皆さんは人間の五感について意識したことがあるでしょうか。視覚・嗅覚・触覚・味覚・聴覚の5つの感覚のことです。人によってその感じ方に違いはありますが、それらは感じようと思わなくても自然に働いて、何かしらの情報を身体にもたらしてくれる物ですね。
 春夏秋冬の季節の匂い、旅先での風景、大切な人と繋ぐ手の感触、ちょっと奮発して食べるディナーの味、街中で耳にする喧騒や音楽。感覚があるからこそ、それらを感じ取ることができていて、それ故に感覚はあらゆるモノと切り離すことはできないものです。
 全てのシーンは、何かしらの感覚が土台となって敷き詰められ、そこに誰かといる、何かを感じる、などというストーリーで連続的に色が塗られ、日々の出来事、そして記憶として輪郭を帯びていきます。

 難しく考えることはありません、ただ大切な思い出というものは、目の前の大切な人、些細な会話、甘く香ばしい香り、ほろ苦い珈琲、そしてそこに身を置くあなたとで作られているという、ただそれだけのことです。

うめぞのCAFEにて

 関西の主要の2府1県はどれも近いもので、神戸から京都へは散歩感覚で出かけることができます。京都は古都というだけあって、ただ歩くだけでもワクワクしてくるような街並みです。その中でも河原町近辺は京都の中心地だけあって、趣のある佇まいを構えた飲食店や雑貨屋など立ち並んでいます。僕はその中の「うめぞのCAFE」を好んで何度か足を運んでいました。そこは、どっしりとした和風の外観と小ぢんまりしつつもゆとりをもった空間が広がっています。
 いつも決まって頼むのは抹茶のホットケーキ。それ以外に追加するものは気分で変わります。しばらく行けてはいないけど、最後に行った日も頼んだのはいつものやつでした。

 この日は甘いものを食い倒れようなんて企画して京都に降り立ったわけだけれども、それは建前であって、実際は連れが元気のない時期だったので、いっちょ外に連れ出してやるか。美味いもんでも食って元気出そうぜ。といったのが実際の趣旨でした。
 ほら、どんなに元気がない時でも美味しいものを食べると、頬が緩んでしまうじゃないですか。しかし、自分で出かけるのが難しい。それならば一肌脱いでやろうか!という感じのノリだとおもってもらえれば大丈夫です。

 出かける当日、その連れと顔を合わせると、既に頭は食べ物でいっぱいのようでした。何という切り替えの早さ。実に僕の思惑を実行前から過敏にキャッチしてくれている。まあカフェに行くことが自体も目的であったわけだし、元気が出たのならこれで良いのでしょう。食レポは割愛。その後も何箇所かのお店を巡った後、2人揃って興奮冷めやらぬまま帰路に着きました。
 ほんとに元気なかったのかよと思うほどに眩しい笑顔を見ることができたので、何というかまあよかったです笑

 一つの店でも毎回訪れるタイミングやシチュエーションは異なります。頼むものは抹茶のホットケーキで、毎度毎度普遍です。確かにこれは写真として切り取ってみると毎回同じもの。しかしその写真に写らない刹那的な何かがファインダーの外側には確かにあり、切り取られたシーンと絡み合うように記憶として刻まれます。
 また逆に、その匂いや風景なんてものをふと感じることがあると、記憶はいとも簡単に、その瞬間のあらゆる感覚や感情と共に思い返されていきます。綺麗な思い出ばかりではないかもしれません。苦く悲しい思い出だってきっと何かの拍子に思い出すこともあるでしょう。それら良くも悪くも意図せず脳裏に焼き付いてしまうものなのです。
 もし悲しい思い出があったりしても、その時の感覚を数百の別の楽しい思い出に結びつけたりすれば、その悲しみは少しずつ小さくなるかもしれません。そして、あんなことあったなと少しくらいは暖かく思い出すことができるものに変わるかもしれません。まぁ分からないけどね。


 幾許か年月を経て、「うめぞのCAFEに行こう」と思い立った時、僕はまた変わらず抹茶のホットケーキを食べることでしょう。その店内を軽く見渡し、席につき、ホットケーキの香りと味を楽しんでいると、かつてその場で交わした会話が頭に浮かんでくるかもしれません。そんな記憶や呼び起こされる感情を、珈琲と共に再び心の奥まで大切に流し込み、その店を後にするのでしょう。
 その手に思い出した温かさや感触はなかなか消えないままで。


〆。

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