他愛もない日常の思考回路図

わたしは、揺られていた。

ふいについた降りますランプは
子どもがわからずつけたらしい
わたしには無関係だが、気になって仕方がない。
停車地へ到着したと同時に
その母親が、間違えました、と叫んだ。
しかしながら、他に降りる人がいるとしたら
その言葉は迷惑なんじゃないか。
降りる人がいなかったら、必要なのか。
取消の効かない降りますランプに、
わたしはやり切れぬ思いを馳せた。

また、一方で
そんな事が起きる確率についても考えていた。
世界中で換算すると、
このような事はどれくらい起きているのだろうか。
そもそもどうしたら子どもが押してしまうのだろう。
答えなんて誰も知らないのに
頭を巡りめぐらせて
途方もない旅に出ていた。

わたしは、揺れていた。

何かを考えていないと
退屈で仕方がなかったのだろうか。
今もそうだ
何かをすることで自身の時を有意義に過ごそうとしている。
なんて忙しい人間なのだろう。

しかしながら
わたしは大人しい人間に見られている。
外向きなんて当てにならんね。

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