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なんでこの地獄のような世で生きてるの?みんなの生命継続理由ランキング[後編]


このコンテンツは前編がyoutube、後編がnoteという狂った構成になっております。初めての方はお先に動画をどうぞ。

それではさっそく後編の紹介に参りましょう。



第4位 死に相応しい時を待っている

レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす」というものがありますが、それに近しい考えなのかもと思いました。私はこの言葉が非常に美しく感じられて、またどこか腑に落ちるような感覚がしてとても好きです。
体力がないので大して動くこともないのですが、よく働いた日の終わりにただ疲労だけではなくどこか満足げに「疲れたなあ」と思うとき、あの感覚と同じように死ねたら、それは幸福だなあと思う。どれだけ辛くても人生をやり遂げた最後に、そのこと故にペットが迎えに来てくれるという思いは自分を支えてくれるものに違いないと思う。亡くなってからもその子たちが心の支えになってくれているというのはすごく素敵なことです。



それでも世界が続くならというバンドが昔とても好きだった。「シーソーと消えない歌」という曲に「終わらないものなんてなくてよかったな 君のその痛みもいつかちゃんと終わる」という歌詞があって、当時確かにそれを救いのように思っていたことを思い出した。この世には永遠も絶対もないけれどいつか誰もが死ぬことだけは確実で、この苦しみや痛みが終わってくれることもまた確実なのだ。終わらないものなんてなくてよかった。永遠なんてなくてよかった、そういうことにしか安堵できない夜もありますよね。

いつか終わると確信していることによって少しだけ今に耐える力を得られる、その感覚は少し分かる。





個人的には「生きたくても生きられない人がいるのに死ぬのは我儘」という言説にはまったく賛成していませんのでそう思わなくてもいいと思います。末期がんの病床でもっと生きていたい!と思っている人と毎日が苦しくて死にたくてたまらない人とでは世界の見方も周囲の環境もまったく違うのに、両者に同じ考え方を強要するのは無理があると感じるから。
それに、「死にたいと言う人は我儘」という言葉は結局のところ問題を自己責任論に集約させて現実から目を逸らそうとするものでしかない。社会から疎外されて、あるいは救いを見出せず虐げられ続けてきた人の心が死に傾くことは、決して「我儘」などではないと強く言いたい。

ゆえに、臓器提供は確かに善行かもしれないけれど、あなたが罪滅ぼしのためにそれを選択するのなら私は少し寂しく感じてしまいます。そんなことをしなくてもあなたには充分価値があるんだよ。




第5位 家族のため


圧‪〜〜〜〜〜‬‪〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


圧倒的感情の""圧""で今回の投書の中で一番ビビりました。「彼女が居ない世界に生きている意味、無いので。」←娘が親に向ける感情でこのパターン初めて見たな

単純にマザコンでもなく愛憎渦巻いているところが殊更重い。お母様の方も死ぬ時は○○ちゃんと一緒がいいな♪みたいに思っているようなので、相思相愛、なのかな……。


報酬なき人生。幸福になれると思って子供を産んだのに唯一の希望だった子供に見捨てられる母親の生。その悲哀について考えるとき、人は自分を犠牲にしながら母親を愛することを選ぶか、反出生主義者になるかの二択しかない。私は後者に寄っているけれどそこに至るまでの環境は似通っているから気持ちはとても分かるなあと思いました。

「自分の中に生を望む気持ちがあって、それを認めたくないが故に報酬と言い換えているのかもしれない」という見方があるのも、自己への解像度が高くて良い。例えその理解が自分を傷つけるだけのものだとしてもより正確な言葉を探そうとする人の姿が好き。


長年の不妊治療の末に生まれた子供にはそういう負荷がかかることもあるのか〜……と険しい顔になってしまいました。きっと他の人よりも、期待されて望まれてこの世に生まれてきたには違いない。祝福だったんだろうな。だけど大きな期待は時に息苦しい重荷にもなってしまうし、たいていは人はその祈りに耐えられるほど強くはできていないのだと思う。

「せっかく期待してくれているのに自分はそれに応えられない」という思いと罪悪感は、下手をすると悪口や攻撃よりも強く心を蝕むものになるので、あまり気にせず生きられるようになったらいいね。私もそれは無理なんですけど。


「親じゃないよ(笑)」←冗談でも言って良いことと悪いことがあるだろう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


怒っちゃった 突然ごめんなさい でもまあ無責任な親という生き物の罪を思うと耐えがたい気持ちにもなります。
他の家族によっても色々と嫌な思いをさせられることはあったようだけど、それでも母によって辛い思いを強いられてきた仲間という意識もあるのかな。彼らがこれ以上困らないようにしてあげたい、という気持ちはすごく善いものだと思います。

もう何年も思い続けているのは、最悪家庭環境育ちの人はできるだけ早く実家から離れるべきだけど、そうやって苦しんできた人の多くは一人暮らしで仕事と家事をこなすほどの体力や精神力を持っていないということ。働かなければ実家から離れられないけど、鬱だから働くこともできない、という詰みの状態に陥っている人がどれだけ居ることか。
そういう人たちを救済できるような制度があればなあと願ってやまない。



そのほかの意見たち

「生きる理由:なし」の潔い回答。いつか何か見つけられたらいいなあ。



「全てを投げ出せば世の中の大半の苦痛からは逃れられる」という見方は私も同じように思います。ただ、人には誰かを裏切りたくない気持ちとか罪悪感とか色んなしがらみがあって、全部を投げ出すことはとても難しいね。
なんだかんだ言ってこの世への期待を捨てきれないでいる、そしてそれゆえに今も現世に苦しめられ続けている、という人は何人か居たし、私自身もそうかもしれないと思わされました。



この2件、希少価値の高い前向き回答。生きたくて生きているよ!という意見、今回全体で3件ぐらいだったんじゃないか!? フォロワーの98%が鬱病!? 元気そうな方も居てくれて嬉しいです。



この投書すごく好きだった。骨折で痛い思いはしただろうけど、そのおかげで生きることに少しずつ目標ができて、きっと日々回復してできるようになることが増えていくのが嬉しくもあるんじゃないかなあと思いました。突如今までの日常が覆されるということは、例え悪い変化だったとしても、淀んでいた心を一気に浄化してくれるような役割を果たす時もある。

あと骨折れてても選挙行こうと思えるの偉すぎる。早く治るように祈っております。



最後のまとめと私の話



おたよりは以上です。50件近くの投書をいただいて、おかげさまで生の苦しみ展もなかなか見応えのあるボリュームになったのではないでしょうか。
これほどたくさんの方が時間をかけて文章を書いてくださったこと、本当に光栄に思います。自分の薄暗い気持ちを言語化することは難しいし、目を逸らしたいような心の痛みにも触れなければならない。そうして書き出した文章を、みずさわになら託して良いと思ってもらえたことがとても嬉しいです。ありがとうございました。


そして申し訳ありませんが、以下はすごく個人的な自分の話になるので、マガジン限定で失礼します。全世界に公開するのはちょっとアレかな……という気持ちのため。


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22年7月から23年7月までのログです。更新終了済。

とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?