葬儀、そして火葬、初七日へ。

初めての一人での帰国、日本に到着した翌日にお通夜。そしてお葬式。
あまりの展開の早さに、心のどこかがついていけていないようにも思います。
この日で、父の姿を見る事も最後になります。
葬儀には母の友人も多くかけつけてくださりました。その多くは私が小学生の時の同級生のお母さんである為、私にとってもお久しぶりの面々です。

驚いたのは、母がお棺の窓を開けて写真を撮影したいと言った事。
私はどちらかと言うとそういうものを写真に撮るのはかなり抵抗があるのですが、母の世代だと逆によくあるらしいです。
というのも、親族が高齢になると葬儀に参加するのが難しい人もいます。そういう人に、「こんな風にしてもらったよ」とお写真を見せながら報告するのだそうです。
棺に入る時、きれいにしてもらっていると、わりかし「きれいにしてもらって良かったね」というような事を言いますが、その成果(?)を見せたいというのか、とにかく最後の姿を写真に残しておきたいらしいです。

うちも母側の親族には遠方&高齢で葬儀に参加できない方もいたので、母の頼みで写真を何枚か撮影しておきました。
しかし見せられた側も、どう反応したらいいのかなって感じにならんのかな。

葬儀の間は、直前に最後の挨拶をやるよう頼まれた為に、お経の間は何を言おうか考えつつも、前夜同様の効果で涙も止まらないし、かなり頭の中が忙しかったです。しかし、前の日は控室にハンカチを忘れた為にマスクの中が大変な事になっていたので、今回は忘れずにしっかりとハンカチを使いました。
そして結局考えがまとまらず、最後の挨拶で何をしゃべったのかはあんまり覚えていません。割とありきたりな事を言ったと思います。
最後に父のお棺にお花を入れるわけですが、最初は「燃やす為の生花なんてもったいないな」と思っていたのですが、花を添えながら「お母さんはお父さんの為にいろいろ考えてたよ。良かったなぁ。」と心の中でつぶやいていると、この行為も無駄ではないのかもしれないと思えてきました。

火葬、思ったよりきつい

いよいよ火葬場への移動なのですが、うちは火葬場に隣接されている葬儀場を利用したので、移動は楽でした。
しかし、焼き場へ入れられる父の棺を見送るのは、想像以上にきつい瞬間でした。
土葬して欲しいと思っていたわけではないけれど、やはり「やめてほしい。そんなところに入れないでほしい」という気持ちを抑えての見送りでした。

本当に、たった2時間ほどで、父は骨になって戻ってきました。
もしかしたらあまり骨が残らなかったりするのかな?と思っていましたが、きれいに残っていました。今回は分骨をしてもらう事になっていたので、のどぼとけの骨は母の意向もあって私がいただく事になりました。
なんて一瞬で、なんて寂しい作業なんだろう。
最後まで丁寧に接してくださった職員の方々には感謝の気持ちでいっぱいですが、骨を拾う作業は想像以上に堪えました。

初七日、お経下手やなって印象

最近はお葬式当日に初七日までやってしまうそうですが、うちはちょうど初七日にあたる日が葬儀の日になりました。
午後からはお坊さんの都合がつかず、息子さんがお経をあげてくださったのですが、お経が下手ってどういう事なのかなって言うのがわかった気がします。

というのも、これまでお通夜、葬儀、火葬とけっこう泣いてきたけど、初七日法要の時間は全く涙が出ませんでした。
充分泣いたから、というのとはちょっと違う。だってついさっき骨を拾ったばかりです。その時はお坊さんいなかったけど。
やはりお坊さんの独特の抑揚は、泣くという行為に大いに作用しているのだと思います。
まだお若い方だったので、これからどんどんうまくなっていくのでしょう。
母も「今のお坊さんが継いだばかりの頃も、あまりうまくなかったけど、すごく上手になっていた」と言っていたし、経験の差なのかな。

一見するといつも通りに見える母も、一気にいろいろなものが襲っていたのか、ここから数日は料理する気力もわかないようでした。
なので私が代わって料理していたのですが、せめてもの気持ちとして、父の好物を中心に料理して、お供えしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?