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湧き水と琥珀草

まだ醒めやらぬ朝、朝焼けが空を焼くより少し早くに雪深い山へ分け入る。

吐息は白く凍えて、頬を痛いくらいの冷気が撫でた。眼の前の枯れた木立に降り積もった雪が、鳥の羽ばたく音とともにバサバサと落ちる。足元の雪を注意深く踏みしめながら、辺りを見渡した。真っ白な雪景色の中にせせらぎの音がかすかに聞こえる。私はそれを目当てに進んだ。

岩肌から細い滝のように流れ落ちる清水が、川の流れを生み出している。私は身をかがめると、背中に背負った革袋から竹筒を一つ取り出した。蓋を開けて、中身を覗く。丸くて小さな葉っぱがついた琥珀草の枝が一本差してある。清涼感のある香りがふわりと鼻腔をくすぐった。琥珀草はすりつぶして傷に塗れば痛みが消え、煎じて飲めば胆力がつくという。煎じ薬はとても苦いけれど、薬師達は皆、涼しい顔で飲む。

私はキンと冷えた清水に竹筒を差し出して、一杯になるまで汲んだ。

その竹筒に蓋をして、足元の雪に埋める。

革袋の中の竹筒は全部で21本。全てに湧き水を汲んで、雪に埋めた。月と太陽が7回顔を出したら、また夜が明ける頃に雪から取り出す。革袋に入れて里に持ち帰り、薬師が大鍋に沸かした湯の中に、竹筒を立てて並べる。そのまま溶け切るまで、触れずにそっと置いておく。溶け始めると、湧き水に移った琥珀草の香りが辺りにふわりと沸き立つ。その香りを嗅ぐと私は、春の夜の静けさに包まれたような、柔らかな気持ちになるのだ。

昼餉を済ませ薬師達が、大鍋から一人一本ずつ、竹筒を抜き取ってゆく。各々家に持ち帰り、神棚に捧げて、今年一年の大安の祈りを捧げたあと、清水を飲み干して体の中を清める。

これは薬師達が薬草づくりに携わるための清めの儀式。


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