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“好きな人の好きを大切にしたい”

年末年始の寒い夜。炬燵に刺さってお笑い番組を観ていた娘が私に尋ねた。


「好きな人に好きな人ができると、どうして怒るの?」


テレビ画面の中では、二人組の芸人さんがコントをしていた。片方は女装をしていて、軽妙な笑いを織り交ぜつつ、『あなた浮気したでしょう!』と男性に詰め寄っていた。

「ああ。怒る事みたいだねえ」

私は淡々と言葉を返して、「なんでそんなこと思ったの?」と、尋ねた。

「テレビでも漫画でも動画でも、そういう話がいっぱいある」

「はあ、そうだねえ」

割とでっかい問題提起だなと思いつつ、彼女の気持ちの何がその疑問を持たせているのかを探すように、私は言葉を渡した。

「自分以外の人を好きになられるのが嫌なんだろうねえ」

「そういうので怒るのは、好きな人の好きを大切にしていない気がする」

「まあ、そうだねえ」

ちなみにだけれど、娘には低学年の頃からお互いに好きな人同士の男の子がいる。その関係性はバレンタインデーとホワイトデーにお菓子を贈り合う以外は、手をつないで下校する、なんていう微笑ましい展開も特になくて、『彼氏彼女』と名前がつけられる程でもない。夕食の時間に話題に挙がるのも、外で一緒に遊ぶのも、同じクラスの男の子たちだ。

彼女は人を思い遣る気持ちを尺度にして、疑問を投げ掛けていた。余程気になっているようで、眠る支度を終えて布団に横になってからも、釈然としない風に言った。

「怒るのはよくなくない?」

「そうだねえ。好きな人の好きを大切にしたいよねえ」

私達のやり取りを黙って聞いていた夫は、笑っているよう困っているような複雑な声色で、

「なんの話をしてるの、この人たち……」

と静かに呟いた。


例えば彼女は、友達とお菓子を分け合う時、先に友達に選んで貰うことが多い。友達同士で集まったときに、『持って行ったお菓子が人数より足りなかったから、私は食べなかった』と報告してくれた事もある。学校での係りも譲ることが多い。

「気持ちは分かるけどさ、せめて三回に一回位は自分のやりたいものを選びなよ?自分の好きも大事にしな?」

と、折に触れ彼女に言うのだけれど、実際のところ難しい事だろうとも思う。

私に好きな動画やゲームや漫画についてよく話してくれるけれど、学校では自分中心の話をあまりしないそうだ。クラスのみんなが知っている話題の方がみんなが楽しめるからと言っていた。彼女はそういう風に、人を大切に想う。だから、『好きな人に好きな人ができたら、なぜ怒るのか?』というのは、当然気になるところだろう。
そうして、いざ自分が同じ立場になったとき、怒るだろうかというのも、経験の範囲内で考えているように思う。

私は布団にくるまっている彼女に尋ねた。

「お父さんもお母さんも娘さんが大好きだけどさ。例えばある日、家に熊太郎がやってきて、二人とも娘さんをそっちのけで熊太郎ばっかり構い出したらさ、嫌じゃない?」

「それは、熊太郎によるかな」

「?」

「熊太郎が来たことで、学校とか友達とかでの私がどうなるのかによる」

「そうかあ」

大切にしている場所を熊太郎がどこまで脅かしてくるのか。それがひとつの尺度になる。
それでも彼女は折り合いをつけて、好きを分け合っていこうとするのかもしれない。例えば仲の良い友達が自分とは別の友達を優先したとき、悲しみをいっぱい抱え込んで、それでも怒らないのかもしれない。

いつか、胸が痛くなる程の恋やときめきを、彼女は知るだろう。その時、出来ることなら、自分ばかりが我慢しなければいけない道ばかりを選ばないでいて欲しい。きみ自身の好きも、どうか大切にして欲しい。

これは私の、ささやかであり結構難しい、小さな願い事である。

ところで娘と私の話をそばで聞いていた夫は、何を思っていただろう。後日、台所でほうじ茶を淹れている彼に話を振ってみた。

「娘さんがこの前言ってた話ですけど」

「あー、あれねえ」

「私はあなたに好きな人ができたら、さてじゃあ、私はあなたを好きなままでいていいんですかね、っていう話し合いに多分なります」

「はあ」

「片方だけ好きならしょうがないけど、二人とも好きで、大事にしてくれるなら、それでいいんじゃないですかね。そんなことない?」

私がマグカップに淹れたお湯をすすると、彼は笑っているよう困っているような声色で答えた。

「一夫多妻制には慣れていませんので」

「そうかあ。難しいなあ、日本は」

「アラブかどこかの人ですか」

「そうですね」


『私が浮気したらどうなりますかね』とも訊いたのだけれど、その問いに彼は何も返さなかった。

ともかく今は、彼が『踊りましょう』と言って私の手を取り、そうして私がされるがままにしているうちは、きっと穏やかに暮らしていくのだろう。

他方、娘は「お母さんはおいしい」と言って、私の肩や腕をかじっていく。時には「あなたエスパーですか?」と私に訊いてくる。

「なんで?」

「だって時々私の気持ちを読み取ったようなことを言うから」

「読み取ったつもりはないけど……」

「生まれた時から一緒にいるから分かるんじゃない?」

「生まれた時から一緒にいたら分かるようになりますか」

私達は仲が良い。そうして、時々分かり合えないし分かち合えない。それは誰しもがそうだから。永遠の愛じゃなくていい。今の私を好きでいてくれ。それで十分。

きみが好きな私の好きを、私は大切に出来ているだろうか。そんな疑問を残照のように残しつつ、今日も緩やかに一日が暮れていく。


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