とある晴れた日の、とっ散らかった文章。

ティファールがお湯を沸かしてくれている間に、魔法瓶を洗っている。

シンクの蛇口から出る水の冷たさに指先をじんとさせながら、頭の裏側で数分先の作業を縦一列に並べる。
魔法瓶を拭いて、ほうじ茶を淹れて、お客さんが来るまでに掃除を済ませたい。まず洗面台の下からマジックリンを取ってきて、次にポーチからビニール手袋を出して、台所へ戻って急須にお湯を注いで、茶葉が開くのを待つ間にプラゴミを分別して、それから。
ああ、そういえば、昼と夕方にも来客があるんだっけ。時間通りに動けるだろうか。

頭のどこかが呟く。

『最近、お疲れ気味なんじゃないの』

そうかねえ。どうだろう。今日が慌ただしいだけじゃないの。
そもそも、こんなのは週一くらいでよくあることだし、あの時やらその時やらに比べたら、なんてこたあないじゃない。

パタパタとスリッパを鳴らしながら、あちらへこちらへと動く。我ながらせわしない。Gパンのポケットにビニール手袋を突っ込むと、丁度ティファールが仕事を終えて、丸い体の中でぽこぽこと気泡を踊らせた。
傾けると、鳥のくちばしみたいな小さな口がパカッと開くから、いちいち可愛い。急須にお湯を注ぎ入れると、柔らかな蒸気が手に触れた。暖かい。


振り返ってみると、昨日も、ちょっと慌ただしかったかもしれない。

朝、早いうちに街へ出て用事を済ませて、とんぼ返りで家へ戻った。別の鞄に持ち替えて、また違う用事で出掛けて、その間、二度、バスに乗りそびれた。珍しくタイミングの合わない日だった。
夜、帰ってすぐに買い出しに行って、玄関を開けたら休憩を挟まずに、手だけ洗って、鶏のささみやウズラの卵を冷蔵庫に片付けた。白菜やセロリも野菜室にしまって、常温で置けるものだけを手提げ鞄に詰め直した。
それから、丸型の加湿器に水を入れて、寝室に置いた。ちなみにこの加湿器には顔がある。店先に並んでいるのを見かけた時、油性マジックで目と口を描き足したら可愛いなと思って買った。試してみたら想像通りで、目が合う度に口元がゆるむ。
夕飯を摂るには少し遅い時間だったので、そこは省いてシャワーを浴びた。昼間からずっと体が冷えていたから、頭から触れるお湯がじわじわと染み込むようで、そのままお風呂場で眠りたいくらい気持ち良かった。

魔法瓶の蓋を嵌め込んで、締めたり回し開けたりした。
パッキンのゴムがぎゅきゅっと音を立てる。この音は、好きな音だ。

昨日は多分「タイミングの合わない日」じゃなくて、「沢山歩く日」だった。冷たい風が吹いていたけれど、よく晴れていた。おかげで一万歩を超えた筈と、ほうじ茶を魔法瓶に注ぎながら、頭の隅で確認する。あとでスマートフォンのアプリを開いて歩数を見たら、厳密には15373歩だった。


片手に魔法瓶と取っ手付のプラスチック製のコップを纏めて持って、パタパタとスリッパを鳴らしながらドアを開ける。
窓にはめ込まれたエアコンがごうと温風を吐き出していた。暖められた部屋は、上着を着込んでいる私には少し暑い。サイドテーブルの定位置に魔法瓶を置こうとして、紅茶のカップ用のコースターに載せた。これは間違い。今度はコップをコースターに載せた。これも間違い。こういう類いのうっかりは、いつものこと。

「どれも合ってないねえ」

私はそう言って、サイドテーブルの傍らに腰掛けて紅茶を飲むひとに笑いかける。

台所に戻って雪平鍋を火にかけた。ふつふつと泡立つ鍋の湯気に指先をかざして暖をとる。出汁を取っている間に野菜を切るとして、先に白菜と人参を刻んで、ええと、セロリをどう使おう。

ふと、スマートフォンが震えた。あの件はどうなってますかと進捗を伺うメールに、近日中にはなんとかしますと返した。
火から下ろした鍋に鰹節を入れながら、明日の予定を組み立てる。午前中のうちに薬を貰いに行って、午後の時間を電話の件に割り当てたい。ああ、そういえば、頼まれている買い物があった。そちらをまず先に済ませなければ。

自分事を済ませるより、ほかのひとの用事で予定が埋まることの方が多くなった。
昔はもっと色んなことが出来ていた気がする。タクシーの深夜料金が痛いと感じないくらい仕事に埋没していた。深酒しながら、沢山話した。記念に写真を残すような、いくつかの旅もした。

まあでも、それもきっと違うのだろう。

ここにいるのは今の私で、この体を動かしてるのも、今の私だ。昔に出来たことが今は出来なくなっているとしても、今やっていることの多くは、昔の私には出来なかったことだ。

他の人は私の三倍も五倍も作業をこなせるかもしれない。人の顔を会ってすぐに忘れないだろうし、話し合いの場でメモを取り続けなくても、淀みなく意図を拾い上げて、意見を言える。

わたしは取るに足らない。

世界に力を及ぼさないし、特に何も変えられない。
窓の向こう側はもう暮れていて、明日はまたやってきて、そこに私がいてもいなくても、晴れか曇りか雨か雪になる。

そういう私のままでいいと、今は思う。

取るに足らないものでいい。良く出来た誰かに成り代わりたい訳もなく、この体と心で、暮らしたい。

ある時期のある期間、体の自由が殆ど利かなくなったことがある。なにもできないという意味においては、幽霊くらい無に近い状態だった。どこが痛いのかと医師に訊かれて、どこもかしこも痛くてどこが痛いのか解りませんと答える程度には、痛みに苛まれていたし、自律神経が大破して、一時間も眠れなかった。
時計の針がカチカチと時間を刻む音を、夜の間中、聴いていた。砂を噛むような無味無臭の時間だった。弱った体は水もろくに受け付けなくて、このまま朽ちたように横たわって暮らすのかとも思ったけれど、偶然に偶然が重なって、医師の助言や薬の力を借りながら、今は起きたり座ったり食べたりしている。

あの頃、自分の中のものを半分くらい、どこかに置いてきたように思う。信じてきたもの、信じたかったもの、叶えたかったこと。置いてきたから、今も動ける。

些末なことで挫けて、投げ出したくなる度に、うずくまったその先の、一ミリ先に白線を引くようになった。「やり直し」という形の始まり。「繰り返し」という姿をしたスタートライン。立ち止まった地点から、何度だって、スタートを切る。

こんなのはよくあることだし、あの時やらその時やらに比べたら、なんてこたあないじゃない。

そんな風にうそぶきながら、足りていない自分のままで、今日もまた、スタートラインに立っている。

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