私と食事となんとなくの癖。

あるもので済まそうとする癖が付いている。

例えば風呂の栓のチェーンが切れていても、栓が壊れていなくて機能として不足がないので不便でもそのままにする。また、水道の蛇口の締まりが悪くて滴がしたたり落ちていても、バケツに水を溜めて一晩置けば翌朝には洗濯の水として使えるからと、やはり放っておく。

修理の人を呼ぶと、もっと早く呼んでくれたらいいのにと逆に心配される。

暑さや寒さも、感じていても、これくらいどうにかなると、基本的に思っているし、お腹が空いたところで、めまいがするまでは放っておいても大丈夫だくらいに考えている。

自分のことに余り気が向かないというか、自分の感じ方に合わせた限界の設定がうまくない。

この、出来る範囲でなんとかしようという、周りの人から「もっと早く言えばいいのに」と指摘される相談下手な性分、もしくは面倒くさがり屋とも言える傾向は、どこで培われたのだろうと、時々不思議に思う。

自分の中の困り事を自分の中で収めようとする癖が最初に発揮された場所は、どこだろう。
子供の頃、迷子になったとき、どうしていいかわからずに泣き出しそうになっていると、通りすがりの見知らぬ大人が声を掛けてくれた。
駄菓子屋さんでおやつ代を握りしめてお菓子を選んでいたときには、飴やチョコに目移りしながらいつまで経っても買うものが選べなくて、おろおろしながら、結局いつもと同じ、黒猫が描かれたフーセンガムを買っていた気がする。決断のへたくそな子供だった。

買い物といえば、小学生の頃は時々夕飯の買い物をしに近くのスーパーへ行った。
自分の体より一回り大きな自転車にまたがって、自転車の前籠に買ったものを入れる。母から渡された買い物のメモには、大体玉ねぎと人参とじゃがいもが書いてあった。
買い物を頼まれると「レシートを必ず貰って帰ってね」と言われるのだけれど、八百屋のおばちゃんがレジを打っている間に「レシート」という単語が出てこなくて、

「あの、あれ、えっと」

と、言葉に詰まった挙句に泣き出しそうになりながら漸く思い出して、

「レシートください」

とおばちゃんに言ったら、

「あらあら、袋の中にもう入れてあるよ」

と、野菜の入ったレジ袋を手渡されながら微笑まれたこともあった。私はそういう風に、ちょっと困ったことがあると言葉が巧く出てこなくて、割とすぐに泣いてしまう子供でもあった。

なぜ決めるのが下手だったのかというのも不思議だった。
物心ついた頃から、私は家にあるもので大体のことを済ませてきた。テレビのチャンネルも兄弟が選んだものを観る。音楽もドラマやラジオで聴いて知った曲以外は、兄弟の趣味に影響される。玩具も兄が貸してくれたから、そもそも自分で選んで買うということも殆どなかった。じっくり選んだり判断する場面というのに出会う機会が少なくて、いざそこに立ち合うと狼狽えて、大体失敗した。そうして中々成功体験を結べないから、いつまで経っても選ぶという動作に慣れなかった。

あとは、なぜだか選んでいるうちに自信というか確証がなくなっていく。ガムもいいし飴もいい。だけどチョコもいい。一番これがいい、という決め手がなくて、手の中にあるそのお菓子で本当にいいのか自信が持てなくなっていくというか、決め方がそもそもわからないという、なんともややこしい心持ちになっていたと、省みて思う。

困り事を曖昧に過ごしてしまう経験の中でも根強く残っていたのが、「ご飯を残さず食べる」だった。
子供の頃から、残さず全部食べる、という漠然とした使命感がいつもあった。だから、母は最近まで私を好き嫌いのない子だと思っていた。

例えば私はほうれん草のお浸しが好きだった。ほうれん草が食卓に上がると、一つの皿を皆でつつく。根っこの部分が皿の上に残る。私が最後にそれを全部さらう。「ほうれん草の根っこは栄養があるから」と母に言われれば、そうなのか、と思い、実際にそれは割と好きで食べていたので、残っているから平らげた。

好きなものでもそうなので、クジラの固い肉も、レバニラ炒めのレバーも噛むとざらざらするだけで美味しくないと思いながら食べた。粕汁に入っている油っぽい皮のついた鯖も、水炊きのぶよぶよした鶏肉も、口当たりが気持ち悪くて好きじゃなかったけれど黙々と食べた。サラダの生タマネギは辛くて舌がピリピリしたし、胃にも負担を感じていたけれど、やっぱり何も言わずに食べた。

出されたものはすべて平らげる。

それはとても静かな暗黙のルールだった。

「食べなきゃだめよ」

と穏やかに言われる度に、刷り込まれていった。出されたものを残したり、手を付けずにいることは罪悪感につながった。

「食べないとバチが当たる」

とも言われた。バチが怖かったわけではなくて、そうしなければならない、という気持ちがただ育っていった。

体の声を聞いて、「もうお腹がいっぱいなので」と箸を下げれば済む場面でも、「食べなきゃ」と、義務感のように無理にでも食べた。

ある時、おうどんのお出汁がとても薄かっら。一日中、炊事と洗濯と家事に追われ、合間にパートに出ていた母には、味見するゆとりなんてきっとなかった。私は味が薄いのは平気だった。けれど、薬味の青葱が生のままで、舌と胃がぴりぴりとしたので、残した。

すると、母は丼の中に浮かぶ葱を見て、

「薬味も全部食べるものよ」

と言った。
思ったよりも険しい声で、不服そうだったのをよく覚えている。その表情と声には、静かだけれど有無を言わさない強制力を感じた。


口に合わないからとか、好きじゃないから残す。というのは、子供心に言える雰囲気ではなかった。醤油で口がかぶれるからとか、食べると胸焼けがしたり気分が悪くなるものといった風に、体へ明確な反応が出るもの以外は、多少痒みやしんどさが出ても食べていた。

体を壊して、水を飲むのも難しくなっていた時期にも、

『それでも何か食べなきゃ』

と急かされるように食べられるものを探した。子供の頃に刷り込まれた認識は、私の頑なさもあって、さらに強くなっていた。

そのうちに布団から起き上がれなくなって、病院に掛かり、血液検査や身体検査や問診など、体をくまなく調べてもらった結果、医師から、

「敢えて食べなくていい」

と言われたとき、漸く肩の荷が下りたようだった。



出されたのものはお腹が一杯でも、体が疲れていても、胃が受け付けなくても、食べなきゃならないと思って、食べてしまっていた。

だけど、きっとそこまで頑なに思い込まなくてよかったし、そこまで一生懸命に食べることを強いたつもりも、なかったのだろうと思う。

あの頃、なぜ食べられないのかを説明できる言葉を持っていたなら、もう少し違ったのだろうと振り返る。機転が効かないというか、言葉の足りない子供だった。

今は寧ろ食事に取り方が粗雑すぎて心配される時もあるけれど、食べても食べなくてもいいのだという大義名分を手にして、実のところほっとしている。
今日もとりあえず、バナナとカロリーメイトがあればなんとかなると高を括りながら過ごしている。

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