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メディアと育児

さて、今日は多くの親にはちょっと耳の痛い話。でも、読んだらきっと知って良かったと思ってもらえると思います。知っていただいた上で、家庭に置いての活動選択の参考に慣れば幸せです。ぜひ、最後までお付き合いください。

メディアが子どもたちに与える影響は計り知れない。世界中の多くのシュタイナー学校ではメディアポリシーというものが存在しております。大抵のシュタイナー学校では、家庭において、特に低学年のうちは、ニュース番組や教育番組を含めテレビを見たり、コンピューターゲームなどもできれば避けてくださいというポリシーがあります。みなさんが守っているかどうかは別として。苦笑

シュタイナー教育って、『コンピューターゲームをしたり、テレビを見ちゃいけないらしいよ〜。』と、言われるのはそのためでしょう。

なんだか面倒くさい教育

そんな風に思われる方も多いと思います。

4つの反応

面倒くさそうな教育。はい、シュタイナー学校のメディアポリシーを読んで、大体4つくらいの反応が予想されます。

否定的な反応

”うちの子に限っては、あまり問題を感じていないわ〜。あまり見ていないし。”

”どこの公立学校も今の時代、コンピューターの導入をしているわ。石器時代じゃあるまいし、今の時代と向き合う必要があるんじゃない?”

交渉・バーゲン的な反応

”バケーション期間の週末にちょっとだけビデオをみるという限定付きだったらいいんじゃない。”

怒りの反応

”二人のヤンチャな子どもを家でどう扱っていいか、わからない。特に、雨が降る季節は大変。ビデオなしでどうやって過ごせというの!!”

鬱な反応

”子どもたちからテレビやゲームを奪うなんて、、、きっと私のこと嫌な母だと思うわ。ビデオやテレビなしで、どう夕飯作っていいかわからないし。。。”

私も、娘たちが幼い頃、シュタイナー教育を育児に取り入れてから、以上に記したこと全部思っていました。生活からのメディアの完全な排除は決して容易ではないことを体験しています。

それでも、柔らかな頭と心をもつ子どもたちへのテレビの影響はやっぱり最小限には留めたいもの。

その理由を述べていきましょう。

脳と感覚への影響

テレビ番組は脳の発達を阻害します。α波を脳・神経系に作るため、テレビをみている間は、Nonーlearning、学習をしていない状態になります。一見すると、テレビの情報から子どもたちは学んでいるように錯覚することがありますが、情報はあくまでも情報。そこになんの意味もないことを知ってください。小さな子どもたちは、生活や自然の中の体験から学ぶことの方が数百倍リアルでパワフルです。

お気づきの方もいるかも知れませんが、最近のテレビ番組は昔の番組と違ってストーリーの展開のスピードが早く、速いズームや突発的な音、フラッシュなどの刺激を巧みに使って視聴者の興味を引くようにできています。内容も刺激過多であったりします。幼い子どもたちは1つ1つに注意を向けることができず、刺激がずっと続くことに圧倒されてしまい、それに慣れてしまうと、普通に当たり前のことがつまらなく感じてしまうこともあります。それってどう思いますか?

コンテンツの刺激が多いと、心拍数が上昇し、そのことが子どもによっては睡眠の妨げになったり心の安定の妨げになることもあります。

魂への影響

メディアからの情報の量というのは、子どもが自分の腹で消化出来る量よりも遥かに多いです。

イメージの消化

メディアから流れるイメージを子どもたちはスポンジのように潜在意識に取り入れます。しかもフィルターなしに、いいイメージも悪魔のようなイメージも吟味することなしです。そして、それをどのように消化するのか。消化する時、時に子どもたちはそれを遊びで表現したりします。遊びで消化できたら一番いいですが、それが暴力やイライラすることで消化する場合、周りが大変だったりする行動にも繋がります。

消費・経済活動とメディアは強い繋がりを持っている

メディアは幼い子どもたちに何を欲しがるべきか、どういう風にあるべきかのイメージとメッセージを巧みに伝えていることを知ってください。

北米のメディアでは、特に食べ物のコマーシャルがいかに子どもたちをターゲットにしているかということの危機感が叫ばれています。例えば、シリアルの宣伝。大人向けより子ども向けの方が多いんです。

日本ではキャラクター売りがすごいですよね。子どもだけでなく大人もそれにどっぷりなんて人もいます。それが悪いとは思っていません。可愛いキャラクターは癒し効果もあると感じている人もいるでしょう。好きな人は、それがとても楽しいことも理解できます。でも、日本ではキャラクターと経済が強く繋がっているいう構造が露骨にあると思います。そういう世界があることを多少なりとも体験することを否定しませんが、あまり小さい子どもたちを巻き込みたくないと思うのは私だけでしょうか?

ボディーイメージについても考えてみたいです。例えば、メディアから流れるディズニーのプリンセスやヒーロー、アイドル、セレブたちのイメージ。

日本のアイドル産業は若年層の性の搾取化?性の商品化?と思えることも正直あります。ちょっと歪んだ世界だと思うのです。

でも、以上のようなイメージがどんどん幼いマインドに入ることをあまり意識していませんよね。そういうイメージが潜在意識に入り込んだあと、思春期になる時に、歪んだボディイメージがマニフェストし、それが接触障害を生んだり、過酷なダイエットに繋がることがあるということを知ってください。

想像力と創造力への影響

まずは有名なオリジナル、グリム童話の白雪姫の話を。読みながら、想像してみてください。白雪姫の姿を。

むかしむかし、冬のさなかのことでした。雪が、鳥の羽のように、ヒラヒラと天からふっていましたときに、ひとりの女王じょおうさまが、こくたんのわくのはまった窓まどのところにすわって、ぬいものをしておいでになりました。女王さまは、ぬいものをしながら、雪をながめておいでになりましたが、チクリとゆびを針はりでおさしになりました。すると、雪のつもった中に、ポタポタポタと三滴てきの血ちがおちました。まっ白い雪の中で、そのまっ赤な血ちの色が、たいへんきれいに見えたものですから、女王さまはひとりで、こんなことをお考えになりました。
「どうかして、わたしは、雪のようにからだが白く、血のように赤いうつくしいほっぺたをもち、このこくたんのわくのように黒い髪かみをした子がほしいものだ。」と。
 それから、すこしたちまして、女王さまは、ひとりのお姫ひめさまをおうみになりましたが、そのお姫さまは色が雪のように白く、ほおは血のように赤く、髪の毛はこくたんのように黒くつやがありました。それで、名も白雪姫しらゆきひめとおつけになりました。けれども、女王さまは、このお姫さまがおうまれになりますと、すぐおなくなりになりました。

ここまでは、白雪姫が生まれた場面ですが、自分が作り出すイメージとはどんなものだったでしょうか?

私は、グリム童話の白雪姫を読んだときの衝撃が忘れられません。どんなに頑張っても、私の中で自分のオリジナルなイメージが作れない。。。私が描く像は全てディズニーからの映像でした。もうそれ以外に思い描くことができなくらい。いかに、与えられた映像が想像力を阻害するかを体験した瞬間でした。

お話を聞くというのは、自分の内側から想像する力をどんどん膨らませる体験です。メディアからのイメージはその体験をどうしても邪魔してしまいますね。

また、メディアは幼い子どもたちから『退屈する時間』という体験を奪います。退屈する時間はとても大切です。退屈の時間があることで、次の創造的活動を生み出してくれます。

心への影響

小さい子どもたちにとって人との関わり、触れ合い、会話に代るものはありません。メディア・テレビ・ゲームの時間はそういう貴重な時間をあちらこちらで奪ってしまいます。人は社会性を持った存在です。もし、あなたが子どもにビデオを見せるという選択肢をするなら、できれば子どもたちと一緒にみて、内容について話し合うことを心がけて欲しいと思います。

まとめ

メディアと育児についての勉強会で以上のようなことをお話ししたとき、あるお父さんが私に自分の体験を話してくれました。

そのお父さんは、子どもの頃『テレビはみちゃダメ。』って育てられて、ずっと理不尽に思っていたそうです。で、大人になってその反動ですごくテレビをみたと。苦笑

このお父さんの言っていること、すごく共感できました。『〇〇しちゃダメ』って言われると人間は『〇〇する』ことを求めます。テレビが家の中でモンスターのように扱われることにも疑問です。

私が提案したいコンセプトは、世の中には『テレビよりも面白いことはたくさんある。』ということです。この人生で、体験したいことが世の中にはたくさんある。そんな面白いこと、体験したいことに時間を費やしていたらテレビをみる時間がもったいないくらい。

『全く、テレビやゲームをしてはいけない』というのは変なドグマ的なものを作り、現代社会、少なくとも日本社会では、周囲との亀裂を作ってしまいます。

メディアの弊害をきちんと知りながら、毎日の生活の中で訪れる選択する瞬間に私たちはベターな選択をができたり、折り合いをうまく見つけることができるのではと思います。

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