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対話はどこから始まるのでしょう?

所属しているオンラインのコミュニティのなかで、「いばらき原発県民投票」条例を制定してほしいという願いが否決されたことについての対話会がありました。

東海第二原発再稼働に反対するのではなく、「県民にも対話する機会を与えてください」という署名活動だったと聞いています。実際の活動自体の振り返りは今後おこなっていくのでしょうが、長崎在住でこの問題とは直接関係なかった私にもちょっと衝撃的なニュースでした。

県民の方々の意見としては、「再稼働反対」「再稼働賛成」「どっちかわからない」「どうでもいい」に分かれると思います。

私の正直ないまの気持ちは、「福島のことがあったのに、このまま再稼働して大丈夫なのかしら?」「再稼働しないとしたらどうやって電力をまかなえるのかしら?」という問題よりも「賛成派と反対派の方々が同じテーブルに座ってきちんと情報を提示したうえで対話会を開かないのはなぜかしら?」ということに興味があります。

政党に守られている議員さんは、その政党の方針に沿った意見しか言えないのですよね。全ての課題に対してまったく同じ意見しかないことは不思議です。政党を離れたところで、議員さんひとりひとりの考えを表明するってことも難しいのですよね。だとしたら議員さんよりも一般市民の方が自由に発言できるってことですよね。

一般市民である私達がもっと勉強して、対話を繰り返してつながりあうことで民意の力が発揮できるということですよね。

それぞれの興味関心のある課題に対して真剣に学びながら対話していくと、自分達がどう生きていきたいのかが見えてくるようになるのだと思います。

「自分の意見を表明すること」をしてはいけないと思ってる人が多いように感じます。自分の気持ちに蓋をした大人が子どもを育てている現実は、そのひずみが子どもの心身の成長を妨げていきますよね。

今回の経験を通して、対話の場を作っている方々とつながっていきたい。私も自分なりに場を開いていきたい。という想いがますます強くなりました。



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