「死」についての体験談

あけましておめでとうございます。ひよこです。
皆さんは「死」についてどうお考えでしょうか。今日は「死」に関して自分の考えていることを書かさせていただきたいと思います。

「死」は突然起きます。私は中学校で放送部に属していました。割と陽気なクソガキでした。中1の冬休み明けに普段召集など滅多にしない顧問が部員全員を集めました。
「年末に交通事故で中2のAが亡くなった。葬式は親族のみだそうだ。」
空いた口が塞がりません。こんなにも突然訪れるのかと、中1のガキにはまだ受け入れられませんでした。A先輩と特別仲良かった訳ではありません。でもどこかで、生きていてほしかった、こんなのは駄目だ。そう思う自分がいました。これは特別唐突な死、と考えることもできます。また、病死のようなある程度覚悟ができた死も存在します。
中2の3月、卒業式が行われ始める頃だったと思います。祖母に癌が見つかった、と連絡が入りました。かなり進行しているようで、余命は半年ほどと言われていました。優しくて、かわいい大好きお婆ちゃんでした。でも、直接その姿を見ないと、嘘や、そう思ってしまっていました。きっと治ってまた話せる、とも。祖母の進行は想定よりも早かったようです。4月には親族全員が病院に集められ、担当医の方が病状についての説明をしてくださいました。「説明」というより、覚悟をしてくれ、という「お願い」のように聞こえました。そして祖母と対面しました。もう意識もないのか、あんなに可愛がってくれた僕のことはすっかり忘れてしまったようでした。完全に弱ったその姿は本当にこの人が僕のおばあちゃんなのか、また信じられませんでした。そして、2週間も経たないうちに祖母はこの世を去りました。覚悟のできた死でした。しかし2年経った今でも受け入れることはできていません。近所に立った祖母の墓地に行こうと、母親に何度も言われても行くことができていません。単に怠惰なだけかもしれませんが、そんなの見たくない、という思いもあります。
中3の入試前、祖母が僕の夢の中に出てきました。「テスト頑張れ」と。祖母は高校時代、珍しく理系で成績も優秀だったそうです。ただ、戦後すぐ田舎の農家に生まれたために大学に行くことはできず、高卒で会社に入社した過去がありました。そんな祖母は自由に勉強できた僕が羨ましかったのかもしれません。やさしいばあちゃんでした。

よく「死にたい」という人がいます。僕は無理に止めません。その人の人生、その人のものです。ですが、後悔するかもしれませんよ、そう思います。生きてる限り、何かしらは起きて、何かしらが、自分に影響を与えると思います。それはプラスもマイナスもです。だからたまにいいことがあったりして、あぁ、生きててよかったな、なんて思ったりします。これが生きてなかったら味わえなかったのかなぁとか、あのとき乗り越えてよかったなぁ、なんて考える日がきっと来ると思います。その日まで生き延びる努力をしなきゃ、と考えています。

僕は周りの人が死んだら悲しい、と思うし、生きていてほしかったと思います。それは今挙げた二人もそうですし、誰でもそうです。だからこそ、毎日しっかり生きて行こうと思っています。

拙い文章でしたが最後までお読み頂けたなら嬉しい限りです。ひよこ


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