うつ病の話 《その2》

うつ病(私の場合、正しくは抑うつ状態だが)と診断され、間もなく職場は解雇された。

「治っても、またなるでしょ?」

そんなん、どんな病気でもやん!

5年近く、安賃金で働いて、結果切り捨てられた。自己都合退職に持っていかれたが、それに抗う気力も失くなっていた。

余談だが、傷病手当金、というものがある。簡単に言うと、病気や怪我で退職しても、給与の8割(7割?)くらいは保証してくれるのだ。

退職直前にこの手当を知り、手続きを踏んだのだが、私には下りなかった。
それというのも、退職直近3ヶ月の給与が算定のベースになるのだが、私はその3ヶ月、時短勤務に切り替わっていた。通常給与の半分くらいだったので、算定基準に満たなかったのだ。

つまり、退職直後から無一文。

失業保険があるじゃない! とハローワークへ足を運ぶと、こちらもあっさり却下。
失業保険は「働ける状況にある人」にしか出ない。ドクターストップはもとより、思うように動けない人間には、1円も出ない。

なんの収入もなく、ただただ泣けなしの貯金崩すしか、生きていく術がない。

障害年金、というものの存在を知るのは、それから10年経過してからの話だ。

お金がないから出歩きたくないのだが、自分の身体と症状に合う薬を見付けるのに、毎週通院の必要があった。自分自身で治験をするようなもの。
職場に近い病院だったこともあり、通院に片道一時間半。交通費もバカにならない。

程なく、独り暮らしにも窮するようになり、仕方なく実家へと出戻ることになった。10年近く独り暮らしをしていたのに、いきなりの家族住まいは、親兄弟とはいえ折衝が生じる。あらゆることでストレスが溜まり、薬の効果も薄れてきた。

病院で相談をすると、カウンセリングを勧められた。自費になるけれど、背に腹は替えられぬ。
20代半ばと思われる、若いカウンセラーの先生。父とのあれこれを吐き出していた時、こう言った。

「実父と仲が悪いなんて、ありえない」

あー、ないわー。

よほど恵まれたご家庭に育ったのだな、と思った。同時に、患者の身の上を否定する人に、カウンセリングされたくないと思い、一度きりで終わった。

元々、父と折り合いが悪かったのだが、気持ちの行き違いから、発作的に首をくくった。ありったけの睡眠導入剤や抗うつ剤を飲み、寝落ちるのと同時に首に加圧されるようにした。

自室に鍵をかけた筈だったが、落ちた衝撃音に母が気付き、即救急車で搬送されたらしい。丸一日眠り続け、起きた時は病院だったので、経緯は全くわからないのだが。

一命を取り留め、あっさり自宅に返された。
薬はその後、一包化され、簡単に大量には飲めなくなった。

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