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【エッセイ】小学生のカーネーション:大人になる喜びと失ったもの

2024年5月12日の夕方、
もうあまり商品が残っていない花屋に慌てて到着した。
すぐ後に、チャリで店先に乗り付けてきた小学生男子3人組。入れ違いで出ていったカップルが子供達の自転車カゴにぶつかって、ヘルメットが地面に落ちた。私は子供に声をかけてヘルメットを拾おうとするが、子供達は気にする様子もなく店内に入っていった。


「2000円だって!!やべーよ全財産もってかれるよ!」


小学生の時のお小遣いってどれくらいだったっけ?と思いながら、ヘルメットをカゴに戻し、店内に入って辺りを見回す。
もう赤いカーネーションは売り切れていて、ピンクや青のカーネーションが自分達も主役だと分かってもらえるように、ちゃんと見つけて貰えるように「母の日」と書かれたリボンに巻かれている。

小学生男子3人組は、忙しそうな店員さんに聞こえるよう大きく明るい声で「カーネーションが欲しいんですけど、どれがおすすめですか」と聞いた後、おすすめされたピンクのカーネーションの小さい花束を片手に持ち、もう片方の手に財布を握りしめながら
「1000円かぁ〜……これなら買えるかなぁ…」と真剣に悩んでいた。


なんて可愛いんだろう、この光景をこの子達の親御さんに見せたら、どんな顔をするだろう。


そう思いながらも、
私はなんだか青いカーネーションが母のイメージにしっくりこなくて、花を買わずに店をでてしまった。

店を出たところで見たのは、
小学生達が置いている自転車の前に並ぶ1本385円のバラ売りのカーネーション。分かりやすくラッピングされており、まだかなりの本数が残っている。


そうか…!このバラ売りのカーネーションなら小学生でも余裕で買えるけど、それでもあの子達は花束を選ぼうとしたんだ。


私はそこでまた子供達が愛おしくてたまらなくなった。


私は25歳でアラサーに足を踏み入れた、寿命から逆算したら若いけど立派な大人である。
それでも、これまで小さい子に可愛いと思ったことはあれど、今日のような愛おしさを感じたことは無かったかもしれない。



数年前までは、自分より若い人達が有名になったり世間に才能が見つかるのを見る度にものすごい焦燥感に駆られていた。

歳は大分離れているのに、オリンピックレベルの「スーパー小学生」や「○○歳の歌姫」といったものに嫉妬しては、自分大人気なさに落胆していた。
私の興味分野である映像や舞台なら尚更だ。


それと関係は無いかもしれないが、あまり子供が得意ではなく、生意気だな〜何も知らないのに調子のってるな〜と思ってしまうこともあり、自分が全然大人になれていないことにむしゃくしゃした。

でも、今日、自分が子供を愛おしいと思った時、自分が子供と上手に距離をとれたように思えた。
どこかで、子供をライバルであり、近しい存在だと無意識に感じてしまっていた大人気ない自分が、やっと少し年相応の大人になれた、気がした。

これからも、流石に小学生相手に思うことはなくても、「若い天才」が出現するたびに嫉妬するのだろう。
そんな自分の子供っぽさは嫌いだけど、少なくとも小さい子供を見守れるような人間にはなったのだと、大人らしい部分も少しは介在しているのだと、励ましていきたい。

今日見た子供のような純粋さを貰って、愛おしく感じながら、楽しく大人の階段をあがっていければいいな。


母の日なのに、子供に思いを馳せてしまった。

P.S.
結局その日はスーパーでカーネーションを買った。そのスーパーは近所のママさん御用達なので、カーネーションは余るだろうと踏んだのだ。
結果買えたのが見出し画像の赤いカーネーションである。近所のスーパー、おすすめです。

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