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第2話 オタク仲間(マルッティの話)~ビットコイン物語

ビットコインは一夜にしてならず。

ビットコインを生み出したのはひとりの天才、サトシ・ナカモトです。

しかし、現在のビットコインは他の技術者たちの手で更新されていて、サトシが書いたコードはほとんど残っていません。

そもそもビットコインは技術者やプログラマーだけが作り上げたものではありません。革命家、商人、起業家、投資家、密売人、詐欺師、政治家、そしていろんな国のいろんな事情をもった人々に必要とされ、時代の大きなうねりに飲み込まれて揉まれながら、奇跡的にも成長を続けてきました。

この物語では、ビットコインに関わった人物にスポットをあてていきます。

偉大な応援者ハル・フィニーを失ったサトシとビットコインが次に得た仲間は、特筆するところのない、一見ただのコンピュータオタクの学生でした。

熱意の人、マルッティ・マルミさん

マルッティ・マルミさんについては、どの文献を調べても「典型的なコンピュータオタク」と書かれているので、てっきりデュフフ系のピザ食って黒ぶちメガネかけてるイメージかと思いきや、めちゃくちゃスマートで素敵な方でした。

よく読むと、どうも日本のオタクとアメリカのオタクのイメージは違うらしく、アメリカのオタクは「やせ型でひょろ長く弱々しい雰囲気で、人付き合いが苦手、ゆっくり訥々(とつとつ)とした話し方」(デジタル・ゴールドより引用)なのだそうです。

モテそうなキャラ設定ですこと。

2009年春、マルさんがヘルシンキ工科大学の2年生の時にビットコインに出会い、その素晴らしさに感銘を受け、すぐにサトシにメールを書いたそうです。

「なにかできることがあったら、ビットコインのお手伝いをしたいのです」

しかし、マルさんにはその時点で何もスキルがありませんでした。よく飛び込めたなと思いますが、ひとつだけ特筆すべきものがありました、熱意です。

孤独なサトシ、仲間を集める

2008年はサトシ・ナカモトにとってほんとうに孤独な年でした。ウェイ・ダイ、アダム・バックといった暗号の世界の有名人にメールを送ってもスルーされ続けました。

有名人に無視されたからコミュニティに投稿したのですが、あまりに賛同してくれる人がいないので、どうしてなのか考えました。

これまでプログラミングの技術面ばかりを語っていましたが、目的をあまり語っていなかったことに気がつきました。そこでサトシは白書にはなかった一つの機能というか条件をビットコインのソースコードに付け足します。

「2100万BTCしか発行しない」と発行数の上限を決めたのです。これにより、政府の発行する紙幣との差を明確にし、価値が下がらない通貨であることをアピールします。

価値が下がらない通貨」というのは、その時代にとても意味がありました。当時はリーマンショックの直後で、大手銀行の損失をカバーするために、政府が公的資金の大量投入を決めたところでした。

お金をたくさん発行したらどうなるのか? 価値が薄まることに気づいた人たちは政府と銀行を批判しました。既存の金融システムと政治システムの欠点が明るみになっていきます。

そこにばっちりビットコインははまりました。政府や銀行に不満を持つ人たちに一つの解を示し、希望を与えることができたからです。

マルさんの成長

マルさんは暗号技術には詳しくなかったし、プログラミングの実績もなかったものの、ビットコインの持つこの政治性と革命性にはとてもとても魅力を感じていました。

なにもできないかもしれないけど、それでも何かやりたい🔥🔥🔥

とにかく自分ができること、ビットコインのウェブサイトの作成や、ビットコインのプログラムを動かしておくことを担当しました。

ん? 動かしておくこと?

「いや、ただアプリ起動しとくだけかい!」というツッコミが入りそうですが、これは実はとても大事なことでした。

今では信じられないかもしれませんが、ビットコインの発表後数か月たっても、ビットコインのプログラムが動いているPCは、サトシのとハルさんのと、あとはほんとに数えるほどでした。ハルさんもいなくなったし……

そんな状態だったので、新規ユーザーがプログラムを立ち上げても接続できるコンピュータが一つもないことが珍しくなかったのです。

そんな小さなことから、マルさんはビットコインの力になっていきました。

マルさんが仲間になってわずか数週間で、無骨でわかりにくいコードが貼りつけてあっただけのウェブサイトは、理念や概念をわかりやすく説明した初心者にもやさしいサイトに様変わりしました。

そして毎日朝から晩まで大学のコンピュータルームにこもり、自らコードを修正できるほどにプログラミングの勉強にも励みました。やがてサトシもマルさんのプログラミングの力を認め、ビットコインのソースコードを書き換える完全な権限を与えられます。

サトシは他の人には余計なことを一切話しませんでしたが、19才という若いマルさんの成長がまぶしかったのでしょうか、マルさんとはとりとめのない話を(メールで)することもあったそうです。

ビットコインのロゴを考えたのもマルさんとサトシでした。二人でネットワークごしにあーでもないこーでもないと画像を編集しながら決めたそうです。

初めてビットコインに価値がついた日

さらにマルさんは、ビットコイン・フォーラムというコミュニティを立ち上げました。

フォーラムのメンバーが「現実世界のお金でビットコインを売買できるウェブサイト」の必要性を訴えると、そのサイトの立ち上げ用に5,050 BTCをメンバーに送金しました。その見返りにPayPalで5.02ドルを受け取ったので、これが正式な記録に残るドルとビットコインの取引第一号となりました。

このレート計算はビットコインを発行するための計算作業(=マイニング)にかかった電気料金から算出したそうです。2009年秋のことでした。

フォーラムのメンバーはほかにもビットコインと交換できるものをいくつかウェブサイトに並べました。

紙のスープ皿、プラスチックカップ、ペーパーナプキン…etc

しかし、売れ行きはよくありませんでした。無理もありません、ビットコインでないと買えないわけではないし、ビットコインで買うメリットもありません。

そもそもビットコインの参加者(マイナー)がいないから誰もビットコインを持っていなかったのです。彼らはまもなく取引サイトを閉鎖しました。

その後…

2010年春、マルさんが参加して1年がたちましたが、その頃ビットコイン・フォーラムはもとより、メーリングリストにもビットコインに関する書き込みはほぼ見られなくなりました。

サトシは2010年12月の書き込みを最後に、消息不明になりました。完全にビットコイン冬の時代です。

2011年にはマルさんも静かにビットコインから離脱し、2年後に自ら「完全に分散化されたシステム」のプロジェクトを立ち上げることになります。

ビットコイン…どうなっちゃうんでしょうか?

次回予告「GPUをひっさげて荒稼ぎマイナー登場」


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