見出し画像

お金の話~もし世界が2人だけだったら

おはようございます。🐤

お金って何なの?
なんでお金が大事なの?

ということを子どもに聞かれたらなんと答えるかをずっと考えています。

こんなとき私はいつも「世界がもし100人の村だったら」形式に、根源的にわかりやすく考えたいと思っていて、前に「世界がもし10人の村だったら」というお話を書いたことがあります。

これはこれでわかりやすいのかもしれませんが、もっとわかりやすくと考えて、突き詰めて、世界に2人しかいなかったらどうなるを考えてみました。

世界がもし2人だけだったら

まず、お金はいらないですよね。でも、ここであえてお金を登場させてみます。こんな世界でお金は何を表すものなのでしょうか。

この世にくまさんとたぬきさんしかいなかったら、きっとお互いに木の実をとったり魚をとったりして、それぞれ暮らしていくのでしょうけど、ここではお二人が力を合わせて暮らしていくとします。

1日にくまさんは魚を1人分、たぬきさんは木の実を1人分とります。でも魚だけじゃなくて木の実も食べたいし、お互いがそう思っていたとすると、交換が生まれます。

魚と木の実、それぞれ0.5人分を交換するとして、ここでは現代っぽくお金を使うことにします。二人はそれぞれ3コインずつ持っているとして、他に使うあてもないので、0.5人分の商品に3コインを支払います。

毎日、くまさんとたぬきさんは3コインで0.5人分のお互いの商品を交換していることになります。ここでは、3コイン:0.5人分の食べ物という価格になります。この状態は毎日お金と商品がちょうどよく循環している、経済が順調に回っているといえます。

世界が3人になったら

そんな毎日を送っていた2人だけの世界に、ある日りすさんが現れました。

りすさんはお金をもっていないので、食べ物の交換には参加できないとします。でも、りすさんも魚を食べたいし、たぬきさんとくまさんもりすさんのとる木の実を食べたいと思っています。

だからお金をりすさんに与えればいいのですが、ここで道を二つに分けます。

①今あるお金を分ける

まず最初の道、たぬきさんとくまさんが一枚ずつりすさんにお金を渡します。すると3人が2枚ずつのコインを持つことになってみんな平等です。

そして、2人の時と同じように、半分は自分で食べて、残りの半分を他の人に売ることにします。食べられる量は一定なので、3人がとる食べ物とあげる食べ物の量は次のようになります。

くまさんは、自分がとった魚を半分は自分で食べて、あとの1/2は他の人にあげます。その代わり、たぬきさんから1/4、りすさんから1/4の木の実、合計1/2人分をもらうので、とった食べ物は1人分で、食べるのも1人分です。

食べ物を交換する時、持っているコインを全て渡すとすると、2コインで1/2人分の食べ物が買えることになります。つまり2コイン:0.5人分の食べ物ということで、なんとコインが少なくなったのに買える食べ物の量は同じ。つまり、お金の価値が1.5倍に上がりました。

これは考えたら当たり前の話で、食べ物の量は一定なので、コインが減ったらそれだけコインの価値は上がるということです。

②お金を新しく作る

もう一つの道では、りすさんに新しいコインを作ってあげます。もちろん3人平等なので、りすさんにも3枚コインを与えます。

同じように食べ物を3人で交換すると、たぬきさんは1.5枚のコインを(分けられないけど…)りすさんに渡して1/4の木の実をもらい、同じく1.5枚のコインをくまさんに渡して1/4の魚をもらうことになります。

つまり、3枚のコインで0.5人分の食べ物を買うことになり、この時3コイン:0.5人分の食べ物が買えることになります。これは2人の時と同じです。

つまり、人の数に比例してコインが増えていたら、物価も変わらないということですね。

お金で何をしているのか

さて、この世界ではお金を使って何をしていたのでしょうか。お金がなくても、ただ食べ物を交換すれば良かったと思いますよね。

毎日、それぞれがとれる食べ物の量は違います、日によっては魚が5匹とれたり、6匹とれたり、あるいは3匹しかとれない日もあるかもしれません。それでも、とれただけの量を売って、その食べ物の量に関わらずもっているだけのお金をぜんぶ支払っています。

この時のお金は、相手に対する感謝とか報酬と考えたら納得がいくと私は考えます。対価でも良いかもしれませんが、物に対する対価というよりは、相手の働きに対する対価なのだと思います。

一方、私たちのような大きくて複雑な現代社会に生きる人間は、例えばスーパーで食べ物を買う時、相手の働きというよりは、物に対してお金を支払っているように思えます。

相手への感謝が見えにくいのは、生産者が見えないから? いや、少なくとも流通に関わるスーパーの店員さんは見えますし、すべての商品には生産者名の表示があるし、物によっては生産者の顔も印刷されたりしています。見えないのではなく、わざと見ないようにしている、あるいは想像力が足りてないということです。

スーパーでの買い物、お医者さんに診てもらうこと、アマゾンで買ったものを配達してもらうこと、飲食店で料理を作ってもらって食べること、それらはすべて私たちがしたいことであって、して欲しいからそこに行っています。相手の働きとか苦労を想像して、「お客さんだから」「お金を払っているから」されて当たり前なのではなくて、その働きに感謝をすることが肝心だと私は考えています。

つまり、お金は感謝を数字にしたものであるべきです。

しかし、お金は貯めておくことができるので、ちょっと問題が置きます。

お金を貯めるとは感謝を貯めること、しかしお金はものになってしまったので、盗難とか相続とかで、感謝を受け取っていない人、他人のために働いたことがない人がお金をたくさん持ってしまうことがあります。これがお金の問題点の一つだと私が考えるものです。このことはまた次の機会にお話したいと思います。

それではまた、FP~(@^^)/~~~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?