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東アジアの技術革新

・はじめに

 近年、我が国日本を始めとする東アジアでは高い経済成長率を持っており、その経済力で国内の技術力を大幅に躍進させていった。この影響力は世界の経済成長率4.4%をゆうに超え、世界経済からも一目置かれる立場となっていった。

・アジアの技術史

 先史時代の時代から、世界の人々は各種技術を用いて身の回りに溢れるものをどんどん便利にさせていった。最初にこれを行ったのは中東だった。その流れからインド、中国へと伝わっていった。(なお逆の場合もある。)特に中国は初期の頃、中東から伝わった文化をもとに紙や地震計、マッチ、鉄製器具、吊り橋、天然ガスなど燃料、方位磁針、プロペラと多くの道具を発明していた。これは北部にいる突厥と呼ばれるトルコ人国家や、ウイグルを始めとするイスラーム国家を経由するシルクロードの終着点であり、そのシルクロードの行く先は中東へと繋がっていたことからである。
 また日本はそれを発明することは苦手とする一方、既に発明されたモノを改良するのは得意とする国である。 例えば、日本語はインドのサンスクリット語や中国語の漢語から独自に音や意味から当て字などを加えて作られた言語と言われているし、三味線など日本特有の民族楽器であっても琉球王国や中国の文化から伝わったものである。
 近世になると、海での航路で行き来するようになり、その文化がヨーロッパにも波及することとなった。アメリカ独立革命以前のヨーロッパ・アジアは大航海時代にて文化の繁栄を見せるようになったが、アメリカが世界覇権を獲得するようになるとヨーロッパからアジアにかけて、アメリカへの対抗手段として産業革命、市民革命へと繋がっていった。これはアジア諸国も後進的であるが、例外ではない。
 市民革命を経て近代化された欧米諸国は18世紀から植民地をどんどんと欲しがるようになっていった。これは植民地から原材料を搾取して、新しい技術を求めているからである。この被害を受けたのがまさしく、中国をはじめとするアジアであった。まずヨーロッパ諸国はインドや中国から茶葉を搾取し、インドの一部分を支配した。その中で最初に市民革命に成功した英国は、インドの支配権を独占することにし、中国の清王朝から銀を搾取する代わりにアヘンを送って、中国の支配権を獲得しようと画策した。これはアメリカ、フランス、オーストリア、ドイツ、ロシアなどの列強諸国も同じことを画策しており、遂には東南アジア、日本までも進出することとなっていった。
 欧米諸国から伝わった文化は日本に瞬く間に影響されていった。最初に伝わったのはポルトガルから銃が伝わったことであり、戦いの中で銃が多く使われていた。その後、江戸時代ではカルタやサイコロなどヨーロッパならではの文化から日本独自の道具に改良を加え利用したり、明治維新を遂げると欧米諸国から伝わった帽子、大砲、煙草など様々な面で便利な社会になっていき、次第に産業革命へと流れていった。日本は、その後アジア後進国である清王朝への進出に成功、続く極東ロシアの支配権も獲得し、アジアの超大国へと返り咲いた。
 しかしこの頃、アメリカは植民地支配に対して疑問を抱き始めた。国の主権を容易く奪い合う社会はいずれ大きな戦争を招くことになるのではないか、と。そして植民地もこの頃から独立運動が活発化していった。このような利害の一致からアメリカは清国に対して門戸開放"にて、各国の領土保全を言い渡した。これは第一次世界大戦下の欧州に対して言い渡した民族自決とほとんど同じようなものであり、欧州諸国はこの方法を受け入れ、各国の独立を支援した。しかし、この方法を受け入れず、尚且つ世界恐慌の結果によりアメリカに対する憎しみを持ったのは日本、ドイツ、イタリアの三国であり各国はそれぞれの野望を持って支配権を手に入れようと動き出した。しかしこれは時代遅れのようなものであり、失敗した。
 戦争後半から戦後、アメリカとソ連を始めとする諸国が技術対決(冷戦)を行うようになり、企業も一つの国から他国へ進出するようになり、技術史において、さらなる飛躍を遂げることとなった。特に核兵器もその一つであり、大陸間にも届くその強力な威力の兵器は様々な改良が加えられた。これは兵器としての概念だけでなく、ロケットによる宇宙開発競争にも使われていった。

アメリカを除外したとして?

 そのようなアメリカの技術に追い付く可能性を持っているのがヨーロッパとアジアであるのだが、私はアジアのほうが技術革新の出来る可能性が高いと考える。なぜならアメリカ独立革命前の世界の技術の主導権を握っていたのは中東、インド、中国、日本といういずれもアジアに属する地域であるのだ。逆に言えばアジア全体がヨーロッパに飲み込まれてしまえば技術の発展は別の方向に進むかもしれない。確かにヨーロッパ諸国も、グランドピアノなどの芸術品、数学などの原理を開発していった。しかしこれはあくまで中東などアジアから影響を受けたものに過ぎない。URL先のグラフを見ると確実なのだが、以上のグラフを見るとやはり技術力はヨーロッパよりもアジアのほうが可能性があることがわかる。

・おわりに

 偏った考えではあるが、欧米諸国にも技術革新の可能性がないという考えを持つものではない。しかし比較をしてみると、欧米諸国だけが技術革新の担い手であるとも断言ができないものである。ヨーロッパの文化を探るだけでなく、多方面の地域から技術史を見ることが重要である。

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