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氷河期世代と少子高齢化の関連性


はじめに

 人間は生きている中で、食べ物や金銭などの対価を得るために労働を行う。この場合労働というのは手伝いの範囲から専門的な範囲まで広く捉えるとする。この動きは先史時代の人類の誕生から始まった。人々は食べ物を得るために狩猟をし、火を付け、肉を焼いて食べる。ここまでの一連の流れもある意味労働といえるものだ。古代ギリシャなど文明から都市国家が形成されるようになると、そのような労働を行う場所も自然と集結するようになってくる。そして現在まで人間は利益を得るために様々な働きを行っていった。
 また人間は労働をしていくうちに、同性異性問わず人間と仲良くなろうとする心理がある。なかには必要ないと断言する人もいるだろう。作りたくない人でも無意識にできる人もいればできない人もいる。これは作ろうとする人が他人との共感性を感じたり、相談ごとや悩みがあると一人で抱え込むことが難しいと感じるのだ。このような本能的な動きが、話しかけるという動作に繋がると私は考える。そしてこれが発展すると関係が深まり、新たな生命を生み出すということも全て人間の意志だけではなく、ほとんど自然に流れていく摂理なのだ。
 しかし、現在の日本では他の世界に比べると後者のことについて消極的に考えたまま、年老いてしまう人の割合が多く、少子高齢化社会の世の中になってしまっている。

出生率と人口割合の推移

 以上のグラフから見ると、ベビーブームであった1950年〜1980年では、若年層の割合が大きく14歳以下の人口が2000万人を超えており、特に第二次ベビーブームでは、出生者人口が約12000人を占めていた。さらに国土地理院による人口調査によれば、1970年代の人口は1位から中国、インド、ソ連、アメリカ、インドネシアに次いで第6位であった。しかし現在は高齢化率が39.9%まで上がり、18歳以下の人口は781万人、65歳以上の人口が8674万人と少子高齢化社会になってしまい、世界人口の中でも12位にまで下がってしまった。このグラフの推移が下がってしまった原因の一つには、有効求人倍率が低水準に達した就職氷河期が到来し、コミュニケーションの機会が減ってしまったことにあると私は考える。
 さて、今回は氷河期世代と少子化の関連性は具体的にどこにあるのかを挙げてみることにする。

日本の人口推移

二度のベビーブーム

 第二次世界大戦後、満州や朝鮮、東南アジアなどの日本の旧植民地から引き上げた人や、出征した男性の帰宅による子作りが一気に進んだことにより1947年〜1949年には第一次ベビーブームが巻き起こり、日本国内で人口爆発が発生した。1949年には出生率が4.32%であり、人口は約800万人増えることになった。そのままの勢いで、人口は右肩上がりに増えていき、第一次ベビーブーム期に生まれた女性が出産したことにより1966年を除き、1962年〜1974年に第二次ベビーブームが起こった。このベビーブームが起こった背景の一つには1955年〜1973年の間の約20年間の経済成長率の大幅増加による高度経済成長期による経済発展による所得の増加だと推測する。ただしその頃の出生率の増加は第一次ベビーブームと比べると、各年齢ごとの出生率を足し合わせた合計特殊出生率による増加を伴わない出生数の増加であった。この理由は以下のものである。

第3次ベビーブームが発生しなかった理由

 しかし、ベビーブームが起こると18歳以下の人口が増えるため少子化社会となってしまい、社会保障の負担が増加し、経済規模が縮小してしまう可能性も当時は考えられていた。そこで三木内閣時代、厚生省は1974年に出生抑制政策という人口を抑制し、少子化を行おうとする政策を出した。また1986年には男女雇用機会均等法により、女性の社会進出が進んでいった。これにより、「男は仕事、女は家事、子育て」という考えが崩壊した。確かに男女差別を撤廃する側面では良い法律ではある。しかし、出生率や人口のことを考える側面からみればこの法律により出生率は年々減少傾向にある原因になってしまう法律であるのだ。
 また1990年代には2つの悪い出来事が発生した。それがバブル崩壊と、今回触れる就職氷河期である。これにより非正規雇用に苦しんだ若者が多く、1992年の国民生活白書には初めて「少子社会」という言葉が入るようになっていった。そしてこの2つの出来事は年々回復している傾向にあるものの、出生率が依然として増えることがなく、そのまま高齢化していき、人口もどんどん停滞していってしまった。

就職氷河期はなぜ訪れたのか?

 以上のことから会社による労働と、人口の変化が密接に関係していることはわかるだろう。しかし、高度経済成長やバブル景気があったにも関わらずなぜ就職氷河期が訪れたのか疑問に残るはずだ。まず就職氷河期とは、日本において1991年のバブル崩壊後の不況以降に就職難となった時期のことである。つまりバブル崩壊による倒産が原因の一端としてあるのだ。1989年、バブル景気に対して政府はバブル経済によって実際の価値よりもはるかに高騰した株価の水準を調整するために金融引き締め政策を発布、さらに地価高騰の抑止策として不動産融資総量規制の通達を発布、これにより株価や地価が下落していき、銀行も不良債権を抱え、融資を渋るようになり、それにより倒産する会社が激増、企業収益も悪化するデフレスパイラルに突入しました。これにより、企業雇用者も激減することになり、働くことによる関心が減る者も増えていった。

就職氷河期と少子高齢化の関係性

 就職氷河期世代は、1970年代から1980年代の第二次ベビーブーム期に生まれ、1990年代半ば以降に初職に就いた人たちだ。初職についた頃には雇用環境が悪化しており、現在から振り返れば「失われた30年」と呼ばれるような雇用環境下にいた。またリーマン・ショックによるさらなる打撃もあったため、当時の若年者でも2010年代半ばには30代後半から40代となっていた。2003年に全国の都道府県に若年者就業支援センター(ジョブカフェ)が設置されたり、2000年代後半に求職者支援制度や雇用調整助成金制度の活用など、就業促進施策が一定の効果を奏し、就職氷河期世代の正社員転換は進んでいたが、それでもなお、不本意非正規労働者は2019年時点でも数十万人いるとされ、正社員で働いている人であっても他世代に比較して所得水準が低くなっている。

おわりに

 こうした状況を抱えながらも、2019年には国の就職氷河期世代活躍支援プランが始動し、この世代の集中支援が動き出した。先に述べたように社会保障制度や社会システムを今後も安定的に維持していくためには、この世代の一層の活躍が欠かせないからだ。全国に数十万人いるとされる不本意非正規労働者の正規転換や、福祉と就労のかけあわせ施策などが展開されてきたが、その期間の大半がコロナウイルスの蔓延期と重なる不運もあり、期待された施策効果は未だ道半ばの状態にあります。しかし、この期間中も就職氷河期世代は確実に年齢を重ね、キャリアを積み重ねてきた。現在のこの地点が新たなスタートラインと捉えなければならないだろう。




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