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阿部青鞋俳句全集を読む①

波多野爽波俳句全集に引き続き、阿部青鞋俳句全集を読んでいきます。

阿部青鞋(あべ・せいあい)は、1914年東京生まれ。1936年句誌「句帖」に参加。戦後は、岡山美作に移り住み、そこで33年間過ごしました。美作時代の1958年に受洗。1978年に東京転居。1983年第30回現代俳句協会賞受賞。1989年2月5日、74年の生涯を閉じました。
俳人との交流をみると、内田慕情、渡辺白泉、三橋敏雄、永田耕衣といった名前があがっています。

第一句集「武蔵野抄」は、昭和16年(1941)発行。この年、青鞋は召集され、戦地へ赴きます。句集の序文に青鞋の詩がともに掲載されており、句集としては、「冬されば」「春されば」「夏されば」「秋されば」「葛飾の冬」「須磨ほとり」「渡邊保夫上等兵に与ふ」により構成されています。

それぞれの編の中で、感銘句を挙げていきます。ページをめくれば、感動があるというくらいに沢山引きたい句があって、これだけの量にするのが大変でした。是非本編で全容を知っていただけたら嬉しいです。

冬されば
 鏡台も畳ばかりをうつすなり
 夕刊の下は妻のからだの泣きゐしところ
 つゞけざまに歩く落日のつゞけざまに
 寒き陽の直ぐそばへ行き葱を抜く
 昼餉と云ふ短きことが起こるなり
 づかづかと冬木は我をとり囲む
 冬の川ひりひりひりと流れたり
 うろうろと鏡のなかを又あるく
 冬の窓鼻血をおどろかずに識る
 土のなかより冬うつくしく土を掘る
春されば
 なつかしく妻が向うを向いてゐる
 ほのぼのと溜まる尿をゆまりたり
 花ぐもりあらかじめ牛のからだくらし
 春さむし妻のものさしのうらおもて
夏されば
 風の吹く大き馬糞に見とれたり
 大いなる切株(きりくい)にねもごろにゐたり
 ぼうぼうと空気光らせて腐れ瓜
 白日の空き地を通らねばならぬ
 平凡に妻が病むなり薬置き
秋されば
 
秋ふかくガラスの創のなかに栖む
 使はねば皮膚病薬の壜倒れ
 秋の風中央線を白うせり
 こほろぎの二つ飛びては曇りゐる
葛飾の冬
 
志賀直哉去りし我孫子を鷺わたる
 常磐線とどろくときも鷺しづか
 杉さむしかかる気圧をわれ愛す
須磨ほとり
 
登り来てつめたき限り石を愛す
渡邊保夫上等兵に与ふ
 戦場に面皰ばらばらと噴く友よ
 撃たぬとき砲弾ねむごろに重し

「阿部青鞋俳句全集」暁光堂俳句文庫

波多野爽波俳句全集を読んだ後だからということもあるのですが、一読して感じたのは、阿部青鞋はかなり素直に物事を把握していたのではないかということでした。

波多野爽波の「写生」と比較して、季語もないものをそのまま掬いとり、句にするなど、さらに現実的になっていると感じました。最初は、波多野爽波と全く違うものとして阿部青鞋を読んでいこうと思ったのですが、良い意味で覆されました。

内容については、句全体としての跳躍や難解な措辞がほとんど感じられず、どこかの景を切り取っている、ということが印象に残ります。そのため、読み手に想像させる余地が残されていて、置いてけぼりにならないという印象を受けました。

特に無季の句、「鏡台も」「昼餉と云ふ」あたりは、ほんとそのままの景を切り取っている感じがあるのですが、「鏡台も」の「も」の在り方や、「昼餉と云ふ」のあとの「短きこと」としているあたりなど、それ以外の何かも読み手に想像させているなと思いました。

第一句集は、妻との関係性を含んだ句がかなりの頻度ででてくるのですが、そのことも二人の関係性を表すものというよりも、二人の関係性という「景」を切り取った句として展開されていて、ドライで、不思議な感覚を覚えます。「夕刊の下」「なつかしく」「平凡に」「春さむし」の句あたり。

俳句全集を通していえることでもあるのですが、オノマトペの使い方に特徴をすごく感じました。「づかづかと」「ひりひりひり」「うろうろと」「ほのぼのと」「ぼうぼうと」「ぱらぱらと」あたりの句。これらの措辞が、あまり普段はつかないであろう言葉に連結されていて、読んでいて毎回新鮮な驚きにつつまれます。正直、このオノマトペ?を読みたくて、読みすすめていたかもしれません。

「馬糞」「尿」「皮膚病薬」などの景の捉え方も、前後の措辞もあって、きらきらと、なんだか美しくみえてくるのが不思議。

とんでもない俳句全集に手をつけてしまいました。私の力量でどこまで読みこなせるのか、はなはだ不安ではあるのですが、寛大な心で受け止めてくださったら幸甚です。(つづく)



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