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波多野爽波俳句全集を読む⑤-2

前回に引き続き、「一筆」以降の作品を含む、句集に未収録であった補遺より、感銘句を引きます。

カンナ涼風繃帯に染む血一点
芙蓉咲きこれから鏡の割れる季節
大は小を押し傾けて煮凝る鍋
セルロイド玩具に噛みあと葭切鳴く
懸菜濡れあとからあとからくるランナー
夏萩やとくとく摶てる男の血
自動車を突込んであり芋の葉に
描かれてゆく寒林のいよよ疎に
冬浮雲体育館内籠もる拍手
漁家昼寝歯みがきチューヴ押しつぶれ
蓮枯るる百態を見て年忘
鳥雲にごわごわと着て測量士
鶯や教師に湯呑一つづつ
泥を被て藻はしたたかや神旅に
死顔の如くに南瓜ありにけり
秘めごとの一切無くて婆涼し
だから褞袍は嫌よ家ぢゆうをぶらぶら
酢昆布が好きで椿が満開で
たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん
涅槃図を見ゆるドリンク剤を飲む
チューリップ花びら外れかけてをり
西日さしそこ動かせぬものばかり
ときめきのとうすみに伝はつてゐる
東大路西大路より受験生
柿若葉とはもう言へぬまだ言へる

「波多野爽波俳句全集」暁光堂俳句文庫

「一筆」以降の作品は、本当にどの作品もとてもよくて、気づいたら見開き全句に付箋をつけていました(笑)

波多野爽波作品の中でも、おそらく晩年の作品が一番好きかもしれません。おそらく「写生」という概念の究極が結実していたのではないかと感じています。

後半は、さらに自由度が増した作品が登場します。例えば「だから褞袍は」「たんぽぽを」「涅槃図を」あたりの句。
褞袍の句は、おそらくこのようなつぶやきを誰かがいっていて、そのまま「写生」したのではないかと少し考えました。

毎年よ彼岸の入りに寒いのは(正岡子規)

をどこか思い出させます。

「たんぽぽを」の句は、これもおそらく実景なのだと思うのですが、

みんなして春の河馬まで行きましょう
春の風ルンルンけんけんあんぽんたん(坪内稔典)

坪内稔典さんの句のような可笑しみがあり、何じゃこらという気持ちとともにクスっという気持ちも抑えられませんでした。

こういう句の一方で、

チューリップ花びら外れかけてをり

といった、写生らしい写生の句もありました。

感銘句を並べてみたところでも、いろんな方向に飛ばしているものの、句全体として根本にあるのは「写生」なんですね。「写生」でできることがどこまでできるのか、その究極に迫っていった俳人が、波多野爽波なのだと、俳句全集を読み通して感じた次第です。
(終)




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