3分前

お湯を注いで3分待てば、ラーメンが食べられる。
そんな魔法を知ったのは小学4年。
けれどそれよりももっとずっと昔に食べ損なったカップ麺があったような気がする。


寒い冬の日だった。
今にも雪が降りだしそうな冷たい空気が空腹に染み込んで、余計に体を冷やした。
いつもなら寄り道をして帰るのに、寒すぎて遊ぶことさえできなかった。
どうしてあんなにあの日は寒かったんだろう。
今、思い出しても指先からひんやりとしてくる。

そう、かじかむ手で玄関のドアを開けたんだった。

急がないと外の寒さが家の中に入り込んでしまう気がして「ただいま」も言わずに居間に駆け込んだ。
誰もいない居間だった。
いつもなら誰かいるのに。
いったいどうしたんだろう。
置き手紙もない。
台所から何やらヒューッと音が聞こえる。
行ってみるとやかんが火にかけられ沸騰していた。
ボコボコとお湯を吹き出している。
慌てて火をとめた。
まったくこまったものだ。
火事にならなくてよかった。
子供ながらにそんなことを考えていた。
それにしてもどうしてこの家には誰もいないのだろう。
音のない家はとてつもなく寂しい。
そして寒い。
この寒さを何とかしなければ…。
ふとやかんの横を見るとそこにカップ麺があった。
お腹も空いているし、お湯もあるし。とりあえず食べよう。
確かこの透明のを剥がして、ふたを開けて…お湯を注ぐ。
うまくいった。
後は3分待つだけ。
なんだ、思っていたより簡単じゃないか。

「おいで。こっちにおいで」

何処だろう?声は聞こえるのに。
外かな?外は寒いから行きたくないんだよ。
それにあと2分で食べられるし。

「待ってるよ。早くおいで」

待ってるの?何処だろう。
声の聞こえてくる場所がわからない。お風呂かな?トイレかな?
声がどんどん大きくなってくる。
いったいどこからしてるんだろう。
あと1分で食べられるのに…声はどんどん大きくなっていく。しょうがない。と思ってわたしは声の方へと進んでいった。

そこで記憶が途切れている。

だから4年生になって初めて自分でカップ麺を作った時は、初めてじゃない気がして、やっと食べられた達成感があった。

この不思議な記憶は今でも覚えている。と言うより、最近、よく思い出す。
お腹の子が動く度にふと思い出すのだ。
予定日まであと1週間。
陣痛っていったいどんな感じなんだろう。

「そういえば、あなたが生まれた時って、このカップ麺を食べようとしていたのよ。買い物から帰って、やかんに火をかけていたら破水して、慌てて病院にいったのよね」

「妊婦がカップ麺なんて、お母さん、体に悪いよ」

「あら、そう?生まれてしばらくは好きなものを食べる余裕なんてないわよ。だから、食べたくなったのよね。でも、あの時、誰がやかんの火を止めてくれたのかしら?」

「お父さんじゃないの?」

「そうかもしれないわね。何せ慌ててどうやって病院に行ったかも覚えてないのよね」

「でもあなた、毎日早く会いたいわって言っていたらほんとに早く生まれてきてビックリよ」

モニョモニョとお腹が動く。

「あなたは好きな時にいらっしゃい」
ずっと変わらず温かい母の手。

あの声はきっと母の声だったのかもしれない。

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