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温泉について

【温泉と旅先でする事について】

忙しい日々を送っていると、疲れが溜まってきたな、なんだか心がざわざわするな、とふとした瞬間に気がつく事が誰にでもあるのではないだろうか。

自分はそういう時、温泉地へ出かける。別段旅行好きだ、温泉マニアだ、などと自称できる程通なわけでも博学なわけでもないが(むしろ出不精且つ情弱)、それでも折をみて必ず一人で温泉旅にでる。旅といってもそんなに遠い場所には最近は行かず、専ら北関東〜甲信越辺りのいわゆる山あいの温泉郷に赴く事が多い。なぜか?勿論山を眺める時間が好き、且つ硫黄泉が好きだからだ。

温泉といえば、私にとっては誰がなんと言おうと硫黄泉一強。アルカリ単純泉も塩化物泉もその他云々泉も硫黄泉の前には須らく皆前座のようなものである。浴場内に立ち込める湯けむりと共に充満する、あの腐った卵の臭いと形容される、えも言われぬ臭気が鼻をつくだけでうっとりきてしまう。噴出口や湯口周辺に堆く積もった成分質、湯の花舞踊りながらこんこんと湧き出る白濁した出湯を横目に、足の先から首までジャブジャブと掛け湯をぶっかけて、歴史漂う年季の入った浴槽にザブリと浸かり、腹の底から一つ「あああぁぁ」と唸れば、さっきまでごちゃごちゃと絡まっていた頭の中の糸くずなど何処へやら、上る蒸気と共にすっかりこの世は天下泰平極楽昇天である。時折天井を伝って落ちる雫の作る波紋をゆったり眺めたり、公共浴場であれば地元のじい様連に絡まられて、少しく、その地域の風呂の歴史や文化に直接触れるのもまた一興である。

まあそういった訳で、火山ガス性の硫化水素の含有によって生まれる良質な硫黄泉(※なお自分調べでは平地等で見られる硫黄泉は有機物の分解や微生物の還元作用によって生成されることが多い、との事である)を関東近郊で狙うとなると、畢竟草津、万座、奥日光、那須、信州辺りに絞られてくる。ここらは交通の便も悪くない(無論本数は少ないが)。万座や日光〜那須辺りなど、横浜や東京からの直通バスも出ているし、今や縦横に伸びた新幹線に乗ればそれこそ欠伸一つか二つ欠いてる内に主要駅まで運んでくれる。私の場合、往復路どちらか、特に復路に時間の余裕のある時は、必ず在来線/私鉄を使う事にしている。無論旅費をケチれるのもあるが、何より時間の流れの差異を楽しむ為だ。この「地方の在来線/私鉄」の時間の流れときたらまた格別である。午後のゆったりとした斜陽を浴びながら、近くに田畑を、遠くに何処の連山山脈をぼーっと眺め、いつまでも目的地につかないような錯覚に陥るあの緩んだゴムのように間延びした時間をある意味旅の一つの楽しみにしていると言っても過言ではないかもしれない。

さて、選ぶ宿にもいくつか段取りがある。大きく泉質、宿からの眺め、宿泊料金、が私の選定基準ではあるが、一つ目は前述の通り硫黄泉は譲れない。できればやっぱり源泉に近ければ近いほど嬉しいし、尚可能なら濁り湯が良い。次に部屋からの眺望は非常に重要だ。なにも天下の絶景が見えなければいやだ、とかそんな贅沢な事を言うつもりは毛頭ない。ただ、山が見え、ある程度空の大きさを感じられる場所を好む。私は近頃は冬に旅をすることが多い。そして、部屋に落ち着く間も無く速攻浴衣に着替えて温泉に浸かり、蕩けて戻ってきたら、非常に不経済な話で恐縮なのだが、暖房をつけて窓を全開に開け放ち、部屋の灯りをすべて消して、窓際で布団に包まって外の景色を日が暮れるまで眺め続けるのが常である。この一見すると異常な行動には自分が旅行にいく意味の中で最も大きな理由が秘められている。時間によって刻々と変化する自然の景色と音を確かめる為だ。ガラス窓を一枚挟んでいてはできない事なので、仕方なしに極寒の中窓全開である。また、これは雪山登山やスキーなど他の目的の為に出かけてもできない。余計なことを考えずに事象の移変りをゆっくりと感じる時間とスペースが、つまり、すぐにノートをとったり音を記録したり、スケッチを作ったりできる部屋という環境が必要、と言う意味である。こうして、そこで起きるドラマを克明にノートやデバイス、また頭の中に記録していく。

そこがもし、シーズンオフの奥日光の雪景であれば、大きく解放した窓からは、雲の流れによって陰影の濃淡の変化を楽しむ山肌が、呼吸を止めて春に備えて静もるのを知ることができるだろう。時折何れの動物の甲高く奇妙な叫びがこだまする。それがより静寂を意識させ、次の瞬間そこら中の木々の枝末に伸し掛かるように積もった雪がボソリボソリ、と思い出した様に物憂げに落ちる。目線を上げると、霏々として降る微細な雪が、時折吹く強い風に舞ってサラサラシュラシュラと音を立て、軒の氷柱を幾度も撫でて彼方へ吹き飛んでいく。ふと何か赤い芥子粒のようなものが湖の岸辺で動いているのが目につく。と、この極寒の中どうやら釣り人が薄氷に釣り糸を垂れているようだ。この画面において、この点景人物の効果たる也。間も無く時刻は16:50、ほとんど周りは黄昏て、一つ一つ物の輪郭が怪しい時間になってきた。が故に中天に登る弦月は、獣の目の様にいよいよその輝きを増し、辺りを包むしじまが、耳にうるさいほどに鼓膜に肉薄する。気がつくと、さっきまではっきりとした輪郭を保っていた山の稜線が、ゆっくりと瞼が閉じる様に曖昧になっていく。

間も無く、夜が降りてくる。

なんだか急に詩情全開だが、普段の生活から離れた時間と空間を全身で知覚するとき、正に自己は消失し、世界と感応道交の状態になっていることに気がつく。で、これらの感覚を忘れずに持って帰ってきて、あるいは現地でそれをそのまま音楽に翻訳する。そうして我が心の師、若山牧水よろしく一旅一曲ではないが、誰に頼まれるワケでもなく、延々死ぬまで続けるのだろう、と思う。自らの感受性の水槽をすりきり一杯まで満載して、それを自己というフィルターを通してかき混ぜて垂れ流す瞬間の快楽といったらまあ余程見つかるものではない。普段は、二回に一回くらいの頻度で「もうやめたれ根性なしの才能なしのヘタレ野郎」なんて自分に向けて言いながらなんとかかんとかお仕事させて頂いているが、こういう時にこそ、改めて音楽を続けてきた自分にありがとう、と言いたい。

話がずれたが最後の要素はやはり何と言っても宿泊料金である。ブルジョアな身分でもない私は、毎度憫然たる思いを堪えて前述二要素を兼ね備えた宿を、一円でも安くと血眼になって検索しまくる。最近はFacebookのお一人様温泉のためのページや、個人のひとり旅好きの温泉ブロガーなどがあるし、また「温泉 一人旅 宿泊」とかなんとかググれば探しきれないほど情報が集まるから便利だ。ここは特に語るべき箇所もないのでこんなもんか。しかし、たまには女将が門前お迎えの、豪華舟盛り個室貸切風呂つき温泉旅でもしてみたいもんだ。

特にオチもなし。終わり。

※尚、本文に於ける非常に一方的かつ独断的な温泉への個人的見解に対する如何なる異論反論も、またその他温泉雑学も求めていないので悪しからず。人それぞれに趣向あり、という事で記録日記として記す。

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