見出し画像

アハロン・アッペルフェルドを思う

“男は、万事石油が支配力をもつから、アメリカもわれわれを見放すだろうといった。バートフスは同意したが、ユダヤ人は欠陥のない商品ではない、とだけ付け加えた。男は賛成せず、頭を片方に傾けて、「それはもうわれわれ次第ではない」といった。バートフスはそれとは無関係にいった、「ぼくたちホロコーストの生存者は、いったいなにをしたんでしょう? あの重大な体験は、ぼくらをすこしも変えなかったのだろうか」
「なにができるというんですか」男は丸い目を開いていった。
 バートフスはその質問に驚いていった、「ぼくは彼らから寛大さを期待してるんですよ」
「あなたのいわれることがよくわかりませんが」
「ぼくはね」バートフスは声をあげた、「ホロコーストを経験した人たちに偉大な魂を期待してるんですよ」”

(アハロン・アッペルフェルド『不死身のバートフス』武田尚子訳 みすず書房 p.129-130より抜粋)

 ここ数ヶ月、国際ニュースを見るたびにアハロン・アッペルフェルドの作品群を思い出す。八歳の時ひとりでウクライナの収容所から逃げ出して二年以上を森で生き抜き、赤軍に入った後脱走、十五歳の時パレスチナに渡ってからヘブライ語を学び始めてヘブライ語で書く作家になった人。
 
 もし彼が生きてたら、今の状況を見てどう言うのか…と思うものの、イタコじゃないから彼が考えるだろうことが私に分かるわけが無い。勝手な想像で分かったつもりになるのは嫌だ。
 今のイスラエルでは彼の作品はどんなふうに読まれてるんだろう。あまり読まれていないんだろうか?

 彼が生前「自分は政治的な作家ではない」と言っていたことも思い出す。
 いま英語で検索してみたら、アハロン・アッペルフェルドが政治と彼の創作について語っているインタビュー記事が見つかった。

“Appelfeld: You see, I’m a Jewish writer. I’m writing mainly about Jewish fate. Jerusalem, I would say, is the heart of Jewish history. So I cannot imagine myself being a Jewish writer and not being in Jerusalem. It is not a question of it’s noisy, it’s not noisy. It is not a question of politics even.”
“I’m not dealing with politics. My real interest is people, life. This is my interest. (中略)You see, I’m not a politician in my country; I’m not a politician outside. A lot of Israeli writers are politicians, I know, but I’m not.”

boston-review-interview-aharon-appelfeld.pdf (almendron.com)より抜粋

 私がいつも思ってるのは、政治に限らず、意見というものは「標識」とか「看板」みたいなものなんだということ。右に進めとか、獲れたて野菜ありますとか。
 それに対して、物語は「絵」なんだと思う。
 たぶんアハロン・アッペルフェルドが繰り返し言っているI'm not a political writerというのは、そういうことなんだろうと思っているけど、周りにアッペルフェルドを読んでる人がいないから誰にも話さずひとりでそう思うだけ。
 でも本を読むというのはそれでいいと思う。(「思う」ばっかりだ)