二日連続の府中市美術館。
一度じゃ見足りなかったのと、確認したいことがあったのと、チケットに「2回目半額」と書いてあったのでどうせなら使いたかったのとで二日連続で府中市美術館へ。
原在中《寒山拾得図》の月
まず確認したかったのが、原在中の寒山拾得図。
きのう見た時、絵に描かれてるふたりのうち左の人(寒山)が指さしている上のほうを見たら、なにも描かれていなかった。
なのに、帰宅後に図録を見たらそこにはなんと、しっかり月が描いてあった。
なんでこんなにはっきり描いてある月が見えなかったんだろう?
心霊現象?
怖くなって、もう一度見てみることにした。
今日また行ってその絵のところに行ったら、月はちゃんとそこに描いてあった。
どうして昨日見えなかったのかはすぐに判明。
右の人(拾得)のすぐ目の前に立って、拾得さんの顔と自分の目線が同じくらいか、少し自分が見上げるくらいの角度になるように膝をかがめて、その状態で右の寒山さんが指さしてる上方を見上げると、ちょうど月が描いてある部分のガラスに天井の照明が映り込んでいる。
そこに月があると思って見れば、まあ見えるんだけど、知らなかったら反射で目くらましされて、何も無いと思ってしまっても仕方なかったかも。
至近距離じゃなく、ある程度距離を置いて見れば月は難なく視界に入るけれど、きのうは混んでて絵から距離を置くことができなかった、というのも見落としの要因になったらしい。
(描いてあるはずの月が描いてないなんて、さすが禅画。心で見ろってことなんだな)
なんて一人で勝手に納得してしまった私には、目の前にあるものが見えなかった。
という、この出来事そのものが何やら仏教説話っぽい。
でも、この見落としトリックのおかげで、昨日見た展示を今日また見に来るという贅沢を実行できた。原在中さんに感謝。
謎を解いたあとは、図録を見て(え、こんなのあったっけ)、と思ってしまった、人混みの中で見落としたらしい作品を再訪。
佐脇英之《業平朝臣涅槃図》
図録を見てたら「女にもてた業平が、女性ばかりに囲まれて心なしかニヤけ顔で死んでいく涅槃図」というものを発見。見た覚えが無い。
たぶんその絵のまわりがたまたまそのとき混んでいて、空いたら見ようと思ったままスルーしてしまったらしい。
図録では絵が小さすぎて細部が伝わりきらなかったので、今日は単眼鏡持参で再訪。
女たらしの業平さんを悼む女性ひとりひとりの悲嘆を、単眼鏡でしっかりくっきり鑑賞。人気ビジュアル系バンドの解散コンサート会場みたいで声まで聞こえそうだった。
図録には在原業平が「心なしかにやけている」と書いてあったから、ほんとかなと思って単眼鏡でじっくり見たけれど、にやけているとも、いないとも言い切れない微妙なところだった。
前期に出てたらしい芭蕉の涅槃図も見たかったなあ。
仙厓義梵《竹虎図》
この展覧会でぶっちぎり一番好きな絵。
今日見たら、きのうは気づかなかったことに気づいた。
「仙厓」という落款が、ふたつ捺してある。
ひとつは逆さま。もうひとつは正しい方向。
もしかしてこれ、仙厓さん、最初間違えてさかさまに捺してしまったんだろうか?
そう思って見てみると、正しい向きの落款は逆さまの落款よりも色が薄い。捺してみたら逆さまで、「やべっ」と思ってあわててひっくり返して続けてポンと捺したんだろうか?
もしそうなら、この絵がより一層大好きだ。
地獄極楽図、二十五菩薩来迎図
この展示のメインであろう大作ふたつにそういえばぜんぜん触れてなかったので、いちおう。
《地獄極楽図》
残酷描写がR18レベル。流血、串刺し、鳥葬そのほかグロな死にざまを鮮血たっぷりで精細に活写。画風が、色遣いも含めて『シグルイ』みたいだった。
すごい迫力だなとは思うものの、すごいことと好きになることは全然別のことなんだな、とも思った。
絵に近づいて鑑賞すると地獄の描写ひとつひとつのグロさに見入ってしまうけれど、少し絵から距離を取ると、極楽を描いた部分の色遣いが綺麗でハッとした。
《二十五菩薩来迎図》
琵琶や箜篌、笙、笛など、いろんな楽器を構えた菩薩が1枚につき1人~2人ずつ描いてある、17枚でワンセットの大きな金ぴかの絵。
ずらっと並んだのを見ていたら、プログレバンドに見えてきた。GenesisとかYesとか、Jethro Tullとか。
カフェ
きのうは入れなかった美術館併設カフェに、今日こそ入ってみようと思ったものの、いなり寿司×2個に1600円払うのもな…と冷静になってしまい、昨日と同じく飲まず食わずで帰宅。
次の展示(吉田初三郎の鳥瞰図)の会期にもたぶん展示にちなんだ特別メニューが出るはずだから、それが美味しそうだったら今度こそ。