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『Beautiful Japan 吉田初三郎の世界』感想。/吉田初三郎の原爆の絵に思ったこと。

 十年くらい前、『別冊太陽』だったかを図書館で借りて知った吉田初三郎。
 浮世絵のような風景画なのに鉄道が走っている、という不思議さは忘れがたく、今回府中市美術館の告知を見てすぐ「あの人か」と思い出せた。
 展示は思ってたよりも大ボリューム。ちっさい旅行パンフレットからでっかい肉筆原画まで大集結。
 肉眼では小さすぎて厳しいものも多くて、今回も単眼鏡が大活躍だった。


併設カフェの力作チョークアート。

初三郎式鳥瞰図

 でーっっっっかい原画を単眼鏡で覗いていると、100円入れたらしばらく使える観光地の望遠鏡で見ているみたいに、絵の中の景色が本物みたいに感じられた。
 シンプルな筆遣いでちっこく描かれたお寺の、その中で暮らしているお坊さんの性格まで分かる気がした。
 坂田靖子『ベル・デアボリカ』の中の台詞を思い出した。
「この地図の中は歩く事も翔ぶ事もできますよ。風の流れまで読むことができる...」

 絵を描くにあたっては現実に足を使って現地を取材しながら、きっと心の中で何回も何十回も空想のドローンを飛ばしたんだろう。
 そのうえで、膨大に蓄積された情報を豪快に取捨選択して描き上げた眺望は現実の縮小複製ではなくて、理想化と遊び心でデフォルメされた《見るテーマパーク》。
 ひとつひとつの部分に目を凝らすと、そこに込められた情報=物語が、ネットでリンクをクリックしたときみたいにパッと展開する。
 絵に描かれた路線をひと駅ひと駅目で辿るだけで、楽しいこと・綺麗なことしか起こらない空想旅行ができてしまう。

 鉄道会社や旅行会社の要望を受けて広告として描かれた商業イラストなのだから、そりゃ旅行を楽しくないものとしては描かないだろうよ、という大人の事情は分かるけれども、そんな計算を抜きにしても、この人はすごく旅行が好きな人だったんだろうなと想像する。
 しかも、たぶん鉄道での旅が。
 絵の中に描かれた自動車の姿が、見栄え良く嬉々として描かれた列車たちと違ってあまりにもプリミティヴで笑ってしまった。

戦争の絵

 楽しい絵ばかりではなくて、軍の要請を受けて描いた絵も展示されていた。
 それらの絵から、初三郎の戦争に対する考えや気持ちを読み取ることは私にはできなかった。月岡芳年や小林清親ほどノリノリで描いてるようには見えないかな、というくらい。
 この人は戦争というものをどう思っていたんだろう?
 そういう疑問を鑑賞者が抱くだろうことを予想して、受け止める形で、『HIROSHIMA』という題の小さな冊子が見開きで展示されていた。
 そこに載っていたのはピンク色のキノコ雲と、閃光と、これから爆風で吹き飛ばされる直前の広島の街を描いた鳥瞰図。
 キノコ雲を描く時もこの人は鳥瞰図なのか。
 作風のブレなさにまず驚いたけれど、しばらくじっと見ていると、これは彼の代名詞であるデフォルメの効いた「初三郎式鳥瞰図」とは違う、と感じられてきた。
「ここを見てほしい」というデフォルメ=意図が、この絵には見当たらない。

 意図だけでなく、そもそも「気持ち」が見当たらない。原爆を描いた絵がほぼ必ず纏う、悲惨さ、痛さが、不思議なくらい無い。
 理科の教科書に載っていた、アオミドロなんかの写真みたいに、被写体にも、撮影者にも何の感情も無い、そんな絵に見えた。
『阿呆列車』で、原爆ドームについて感想を訊かれた内田百聞が「感想は無い」と答えたのを思い出した。

「広島へ行かれましたか」
「行った」
「いつです」
「最近は一昨年」
「原爆塔を見られましたか」
「見た」
「その感想を話して下さい」
「僕は感想を持っていない」
「なぜです」
「あれを見たら、そんな気になったからさ」

内田百聞『第二阿房列車』新潮文庫、p.112より抜粋  

 あれと同じことなんだろうか。でも何の感想も無かったらわざわざ手間を掛けて描くだろうか。
 これ、冊子で出たらしいけど、ほかのページはどういう絵だったんだろう?

 そう思って、帰宅してからネットで調べたら、なんと全ページの絵が見られるサイトがあった。ありがたい。

https://www.asocie.jp/hatsu/index.html

 全部の絵を見ても、そこに初三郎の思いというようなものは、私には全く見えてこなかった。
 もしかしたらそれこそが、初三郎の意図だったのかもしれない。
「“思い”を込めないこと」が。

 これもネットでの情報だけれど、この原爆の絵を描くにあたって初三郎は何度も被爆地に足を運んで、原爆を落とされた現地について自分の目と耳で取材して、自分も原爆症らしき症状を呈するまでになったらしい。
 体を壊してまで敢行した綿密な取材のうえで初三郎が描いたのは、生き残った目撃者たちが語った原爆という現象の、正確なビジュアル的再現。
「絵で語る」ということすらしようとせず、ただストイックに目撃者の記憶を、見ていない人々に伝えるための《媒体》に徹した。
 記憶を撮影できるカメラは(今のところまだ)無いから、自分がそれになろうとしたのかもしれない。

おみやげ

 図録も欲しいし、昭文社の大型本もすごいし、徳川家光が描いたミミズクの絵のトートバッグも捨てがたかったけど、横長のポストカード(220円)を1枚だけ購入。

やっぱり図録も欲しくなってきた。

『初三郎と廻る京王沿線ぐるりすごろく』は無料配布。昭和5年に初三郎が描いた京王線に仮想乗車できるすぐれもの。府中の競馬場って昔は目黒にあったんだ。