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【ひつじが週報】200118-200124

●200118

庚申の日で営業時間を朝まで延長。奇しくもチェアリング同好会の活動日と重なって、しかも雨が降ったことで店内での開催となり昼間から在店していた。実質18時間も店にいたことになるが、庚申の日にチェアリング活動を入れたのはほかでもない自分なので文句は言えない。誰にも言えない。

いくら定期的とは言え60日に一度しか庚申はやってこないので、そもそもひつじがが夜中に営業していること自体そんなに認知はされてないだろう。今回で3回目になるが、初回は一人で朝まで過ごし、2回目は心優しい作家さんを巻き込んで二人で夜通し話した。これでやる意味を問われたら「浪漫」としか言えない。今回も半分諦めていたが、結果三名の方と差し入れのドーナツを食べながら閉店時間(29時過ぎ)まで会話を楽しんだ。

話のベースはそこにいた法学部の大学生が授業で学んだことで、そこから派生して《自由》や《共通善》をキーワードに理想的な場のあり方について話をしていた。どういう空間が居心地いいか。またどういう空間が必要か。どの話も物凄く参考になったが、その中でもその大学生の子が言っていた「いなくてもいいけどいてもいい」ぐらいのゆるさは場に必要なものだと思った。

その場に行くことが義務になってしまうと、いずれそれはプレッシャーになり負担に変わる。よほど逆境で燃える癖がない限り、行かなければならないと思って行く場所は大抵楽しくはない。また店側としてもそうやって誰かの負担になることはなるべく避けたい。自分がいなくてもその場は成立する。でも疎外される訳ではなくいけば収まる居場所はある。そのあたりの自由さが「いなくてもいいけどいてもいい」には込められている。自分だったらそういう場所はいくつか欲しいし、そういう場所の一つとしてひつじがも機能したらいいなとは思う。

ただ難しいのは、その状況を常に保とうとすると同時に「誰もいなくなる」状況に陥るリスクを常に抱え続けなればならない。いくら綺麗事を言っても全員の「自分がいなくても」が重なってしまえば一瞬で店は潰れる。実際にそれでなくなるお店はたくさんあるし、ひつじがも他人事ではない。少しでも長く続けるためにそこのバランスについては引き続き考えねば。

●200119

凪営業。来月頭の展示に出展していただく作家さんがこられたので、その方が行なっている「糸紡ぎ」についてのお話を聞く。企画展のテーマが「ひつじ関連」だったので今回参加を決められたそうだが、展示を通して「糸を紡ぐこと」に興味を持つ人が増えたらとの熱い想いを語ってくださった。糸紡ぎに限らず、時間や手間のかかる活動に興味を持ってもらうのは大変だと思う。今はそんなことをしなくても簡単に編まれた状態の既製品が安価で手に入るし、ついそれを選びたくなる気持ちもわからないでもない。そのぐらいにみんな日頃忙しく生きている。また仮に時間があってもお金をかけずにそれを潰せる遊びもいっぱいある。結果いつの間にかそれで時間を消費して忙しい気持ちに拍車がかかることになる。

作業に費やす手間や時間は余白みたいなもので、それがあれば考えることも、逆に考えすぎた頭を休ませることもできる。目先の生産性は低いかもしれないけど、だからと言って生産性だけで天秤に挙げられて選ばれなければ、その選択肢はいずれ消滅する。そういったものがなくなってしまうと、余白を作るのがむずかしくなってますます生産性の沼にはまってしまう。

だからそういう活動をしている人は応援していきたいし、ただ声をあげるだけじゃなくそういう人たちが陽の目を見るように策を練らなければならない。展示もその手段の一つだし、それ以外にもできることはあるかもしれない。

●200120

本日も凪営業。過去最低レベルの凪で、思わず身震いした。そんな中福岡で読書会を主催されている方が来店してくれたので、イベントなりお店なりの文化的活動をどうやって知ってもらうのか(難しい)について話していた。なんでもそうだけど、コンセプトを固めすぎると自由度が減って面白くない。逆にそれを緩めすぎると自由度は増すかもしれないがわかりにくさも増してしまう。ひつじがも冠に「ブックバー」を掲げているけど、(実際に来たことある方はわかると思うけど)読書だけを全面に押しているわけではない。そりゃもちろん本を読む人が増えるのは嬉しいし、できればこの店を通して増やしたい気持ちはあるが、それを強く出しすぎると、本を読まない人は来てはいけないお店になってしまう。現状でもたまに「本は読まないんですが入ってもいいですか?」と言われることがある(もちろんいいです)。

本を読むことはあくまでたくさんある手段の(中でも自分が効果的だと思うもの)の一つだし、それを使わなくても場を楽しむことは当然できる。そこで線を引きたくはないし、それ以外で線を引く場所を見つけるのが難しい。敷居をあげれば来づらくなるし、下げれば収集がつかなくなる。お店もイベントも一緒だった。とはいえ気づいてもらわなければ何も始まらないし、今はまだその必要性を言語化して愚直に伝えていく段階。その中で同じような思想でイベントを主催されてる方が話し相手になってくれるのは心強いし、こちらも力になれればと思う。

●200121

明日20歳の誕生日を迎える学生さんが、10代最後の日に来店。その場にいた他のお客さんたちも交えて、10代最後の日に何をしていたかを話したが、誰も覚えていなかった。迎える時はそれなりにドキドキしていたはずなのに、今となっては微塵も記憶に残っていない。この学生さんもいつかは忘れてしまうかもしれないので、とりあえずそんな日があったことをここに書き残しておこうと思う。

●200122

凪営業。こう続けて書くとさみしい気もするが、事実は事実として真摯に受け止める。ちなみに凪かどうかの判断は会計伝票の多さでしているので基準は曖昧。なので凪だけど開店から終始誰かがいてくれる日もあれば、そこそこの来店者数でも(来店時間が集中して)ノーゲストの時間がたくさんという日もある。それぐらい曖昧。

●200123

会計伝票理論でいうとこの日は盛況と凪の間ぐらい。つくづく曖昧。読書をしたり、資格試験の勉強をしたり、集まって話をしたり、日々様々な使われ方をしている。もうしばらくするとこれに就活の子達が加わる。時折混ざりながら、時折集中しながら、自分の時間と全体の時間を行ったり来たりするのを楽しんでもらえるように場を整えていけたらなと思う。

度々話をしに来てくれる大学生が「逸材」と称して高校生の子を連れて来てくれた。自分が若い世代でしっかりしている人を逸材だと思うように、若い子らもまた自分らより若くてしっかりしている子を見て逸材だと思うのがなんだか面白いし、そういう子を連れてくる場所としてひつじがを認知してもらえてるのは嬉しい。ひつじがにはソフトドリンクもあるし、「バー」が持つ様々な先入観を飛び越えて来てくれる未成年の子達にとって開かれた場所にしていきたい。無論若者だけでなく、全ての世代に開かれた場所でありたい。

●200124

会計伝票理論でいうと(しつこい)久しぶりに盛況。こういう日に来られた方からはよく「いつも流行ってますね」って言われるけど、それに対して「いつもはそんなことないんですよ」と返す野暮ったさったら。とはいえ実際いつもはそんなことないから上手い切り返しを考えたいこの頃。そんなことを考えなくてもいいくらいいつも(ある程度)流行る状態になるのが理想だけれども道のりは遠い。

近くにある某ラボの方々が新年会の帰りに立ち寄ってくれた。「世界一楽しい街を創る」という野望をもち、知的好奇心を種に様々な面白い仕事をされている。以前一度オフィスにもお邪魔させてもらったが、「こんな近いところにこんな団体が…」と思わず唸る刺激を受けた。

団体での来店なのであくまで会話の邪魔にならないように、でも隙を見て話に混ぜてもらい、フリートークに混ぜてもらった。主に議題のない無目的な雑談だったが、自由に意見が飛び交い、心地よかった。今回は自分以外は気心の知れたメンバーだったから成り立ったのかもしれないが、できればこれを「いつでも」「だれとでも」できるような空気感を育みたい。集まった人同士で無目的な集会が常に繰り広げられるような環境が理想。

県外から就職活動で福岡に来ていた学生さんが、その帰りに初来店。その子と話しながら、隣に座った人達がそわそわしているのに気づく。聞けばその子が行きたい業界に近いところで働いているとのことで、急遽業界談を話してもらうことに。こういう偶然が起こるのが現場の面白いところ。さらに話をしていたらその方と聞いてた学生が同じ大学だと判明。関係者にしかわからないような教授の話で盛り上がっていて、さすがに仕込みを疑ったが、自分以外仕込む人間なんていないのでただただものすごい偶然だった。

こういう偶然は外に出ないと起こらない。また外に出れば出るほど(知り合えば知り合うほど)偶然が起こる確率は増す。勿論良いことばかりではないかも知れないけど、日頃悪いことをしなければある程度良い偶然を引き込めるようにはなるはず。ひつじがも人事を尽くした人たちが偶然を起こす装置の一つとして存在できたら良いと思う。