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【ひつじが週報】200208-200214

●200208

凪営業。本を読みつつ、合間にご来店された方達と世間話をする。時節柄異動や転勤などで環境が変わる人も少なくはなく、この日もご近所さんと引越し先の間取りについて話していた。どこまでを「ご近所さん」と呼ぶのかはわからないけど、仮に「行こうと思ったときに行ける距離」にいる人をそう呼ぶのであれば、今よりも離れた場所に行ってしまうのは若干寂しくもある。とはいえ自分だってそうで、これまで過ごしてきた場所(長崎、京都、大阪)からご近所さんの称号を捨てて今福岡で暮らしている。当然その頃に通っていた場所に行く頻度はがくんと下がったが、それでも今でもその土地に行けば自然と足がそっちの方へ向かってしまうし、日常的に行けなくても自分の中にそういう場所があるのは有難いことだと思う。

どこに住んでいても行きたい場所には何とかして行くし、逆に近くにいても興味のない場所にはいかない。物理的な距離と関係のない場所でゆるく繋がっていたいし、そうなるためにもご近所さんがご近所さんである間(近くにいる間)にちゃんと気づいてもらえるように存在感を出していきたい。苦手。

●200209

この日も来られた方(昨日とは別の人)と物件情報を見ていた。そういう季節。間取りを見るときにはおおよそ「部屋の広さ」や「家賃」など、あとは「バストイレ別」や「窓の向き」ぐらいが気になる点だと思っていたが、今日物件を探していた人の最優先事項が「調理場(シンク)の広さ」で世の中には色んな人がいるなと思ったのと、確かにシンクの広さを優先して手頃な物件を探してみると頃合いの物件は途端に少なくなるのが面白かった。

初来店と複数回目の方がちょうど半分ぐらいでバランスがよかった。忙しかったかと言われたら、じっくり物件情報を吟味できるぐらいには落ち着いていたが、それはそれでばたつかずに全体を見渡せるから悪くはない。SNSで載せたお酒を飲みたいとわざわざ来店してくれたり、別の日に載せた本が気になって来ましたという人がいたり。知ってもらうきっかけがどこにあるのかは今だにうまくコントロールできていない。できていないが、そもそも投げなければ始まらないのでまずは全力投球することだけを考えて取り組んでいきたい。

終盤は再び凪。よく遊びに来てくださる絵本作家のKさんと、神話やスナック、超常現象や温泉旅館のことを話した。途中今なんの話をしているのか話している本人がわからなくなるぐらい話題がころころと移っていく様が小気味良く、頭の中にある膨大な引き出しを片っ端から開けて話を展開するところに、あらためて作家の凄さを実感。お店の周年直前ということでお酒もご馳走になり、程よい高揚感で閉店時間を少し超えて盛り上がった。人が多い日も盛り上がりはするけど、こういう少ないけどふつふつと盛り上がっている時間がなんとも言えず好きだ。

●200210

一年目最終営業日。心境はこちらにも書いた。

早い時間は作家さんの比率が高かった。現在店内で合同展を開催しているが、店からの呼びかけで集まってもらっているので参加されている作家さん同士では面識がない方も当然いる。期間中の在廊も強制していないので皆さん自由意志で来店されたりされなかったりする(そもそも在廊という考え抜きで普通に遊びに来てくださる作家さんが多くて嬉しい)が、初対面の出展者さんの来店が重なることもあり、この日もそうでお互いの作品の話などで盛り上がっていた。

作品を出展するにはそれぞれの意思が伴うので必ずしも偶然とは言い切れないものの、たまたま同じ展示機会に作品を出したという共通点が、今まで面識がなかった人同士がゆるく繋がるきっかけにもなる。誰のために展示をしているかと言われればそりゃ「見る人のため」ではあるけど、おまけみたいな感じで作家さん同士が知り合う機会を作れているのはうれしい。知り合ったその先でそれぞれがどうするかまで首は突っ込めないけど、良い方向に流れたらいいと思う。

作家勢が帰宅し、終盤はご近所勢の比率が増す。明日(周年当日)に行けないからとわざわざ顔を出してくれたり、節目に来たかったとわざわざ寄ってくれたり、わざわざ差し入れを持って来てくれたり、そんな風にいろいろな方から好意的な「わざわざ」を受け取った。日付が変わったタイミングで「おめでとう」という言葉までいただいてしまった。感無量。

お店としては機会を狙わずいつでも気軽に来てほしいとの思いでなるべく休まず通常営業をしているが、そんな中でもわざわざ狙って来てもらえるのにはありがたさしかない。節目に限らず、日常来てくださる方も気がけて連絡をくださる方も少なからず何かしらの「わざわざ」を通過した上で目の前にいてくれるわけで、当たり前すぎて見落としそうになる相手の気持ちをちゃんと拾って、相応のものを(やりすぎるとプレッシャーになってよくない)返せるようにならねば。とにもかくにも一年目最終日をこの街に暮らす人たちと一緒に過ごせたのが、この一年やって来たことに対するなによりのご褒美だった。

●200211

周年当日。一年前のこの日は大学生から送られてきたエントリーシートを開店直前まで読んでいたが、それから一年経った日の昼間、偶然その大学生が連れてきた後輩からエントリーシートの添削依頼が届いて、それがなんだか一年前と重なって面白かった。二年目も変わらず向き合っていきたい。

お昼(開店前)は周年のイベント。周年を祝うイベントをやるやらないに関しては本当に直前まで迷っていた。個人的にはケの日(日常)を大切にしてもらいたいし、ひつじがも日常生活の一部として存在していきたいと思っている。そんなお店がハレの日にイベントをやること自体どうなのかとも思うし、実際貸切イベントをやってその日たまたま日常の一環で訪れた人が入れないなんて矛盾でしかないのでは。そうまでしてやるイベントに一体なんの意味が。そんな思いと、とはいえ一年頑張ってくれたお店は今や我が子のごとく可愛いし、きちんと労ってあげたいという親心のような思いの狭間でぐるぐると葛藤。結果、「営業時間外にやる」「告知は必要最低限(告知せずに開催して内輪贔屓満載にしない)」という自分なりの妥協ラインを設定して決行に及んだ。どうせならやらないよりもやって後悔した方が良い。

直前かつ最小の告知にも関わらず反応してくださった皆様と、お昼からひっそりとお店の周年をお祝いした。この一年いちばん来店してくださった方や、開店前からお店に関わってくれた方、作品展示をやってくれた作家さんや、時折顔を出してくれる方、ひとりひとりとの思い出を振り返りながらあらためてこの一年の長さと短さを実感できてよかった。そういう思い出がこの一年の間だけでも関わる人の数だけある。たまに頭の中で引き出し開けて思い出したりするけど、本当にありがたいし、これからもそういう思い出をどんどん増やせたらと思う。日常を潰してイベントをやること自体には未だ懐疑的ではあるものの、なんとか日常とのバランスをとりながら常になるべく後悔しない道を選択していきたい。

ともあれお祝いしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

引き続きどうぞよしなに。

●200212

節目の直後は絶対に凪ぐ。予想を裏切らない凪営業。なんとなく波がわかってきたような気がするし、だからこそこちらで波を作っていかねばならぬとも思う。昨年ひつじがで他店とのコラボ企画として「餃子屋」と「おでん屋」を開催したが、その際協力してくださったお店の方がどちらも周年のお祝いにきてくれた。一年も経たない内に知り合いのお店ができたのは僥倖でしかないし、知り合うだけでなく一緒に何かをできるのはもう有難さで頭が地面にめり込んでしまう。この関係性がいつまでも続くわけではないので、続いている間にもっと面白くしていきたい。

ひつじがに度々来てくださる方からの紹介で初来店された方と世の中にある「良い才能の無駄遣い」について話していた。聞くとその方は飲食関係の方とご結婚されていて、家での食事時にちょっと「リンゴ剥いて」とお願いするとそのリンゴが白鳥の姿で出てきて感動したとのこと。最高。

やる側(リンゴを白鳥にする側)はそもそも好きでやってるのでむしろ楽しく、やられる側(リンゴを白鳥にされる側)はリンゴを剥いてもらえるだけでも有難いのにさらに驚きまで付加されて幸せな気持ちになる。こういう自分にできる範囲でのちょっとした遊び心によって暮らしは明るく楽しくなる。皆(自分も含む)がそれぞれのリンゴ白鳥技術(と仮に名付ける)を気軽に試せるような場所でありたい。そしてそれをそれぞれの生活につなげてもらいたい。

●200213

転職で来週から関西に引っ越すことになった方が、頻繁に来れなくなるから代わりにと本を数冊寄贈してくださった。どれも『書店』に関する本で、この先福岡の書店関係が変化する中で店内でその話をする機会も増えるだろうし、その時に材料として使ってもらえたらとの気遣い。

本の寄贈自体はこのお店を始めた頃から受け付けている。前提として「お店のため」の寄贈であることは今も変わらないが、最近それに加えて「お店で過ごす人たちのため」との思いを語りながら寄贈をしてくださる方が増えたような気がする。それだけ当初よりもこの場所で過ごす人たちの顔がイメージしやすくなり、また寄贈してくれる方々もその中で過ごすうちの一人になってくれている。「誰かに読んでもらうために置く」から「この場でどう使われるかを想像して置く」に寄贈本の意味合いが変わってきたのを感じて嬉しい。

関西に引っ越してからも、この場に関わっていることを感じてもらうためにも寄贈してもらった本を精一杯使っていきたい。そんな気持ちで並べている本が、他にもたくさんある。

●200214

この日も凪営業。面白そうな大学生の子が初来店してくれた。学校学部を聞いていく中で、思い浮かぶ知り合い(ひつじがによく来てくれる子)の名前を出したら同じゼミの同級生だと判明した。この店に通ってるのはまったく知らなかったらしく、驚いていた。聞けば数名しかいないゼミとのことで、こっちも驚いた。世間の狭さを感じるとともに、別にたいして大学からは近くもないこの場所に少しずつ学生が来てくれるようになったのは喜ばしい。

現在東京湯島にある『夜学バー"brat"』の店主さんとオンライン上でお手紙のやりとりをしている。夜学さんからの返事はスタッフさんも交えて日夜議論を深められているのが文章から滲み出ていて、(議論を深めるスタッフもおらず中空をぼんやりと眺めることしかできないので)それがなんとも羨ましく思っていた。脳内スタッフと議論を深めてもよかったが(悲しいが)、幸いひつじがにはこういう話に興味を示してくれそうなお客さんが少なくはなく、この日もいつも問答相手になってくださるIさんと一緒に夜学さんの文章を読みながら「美」や「場」について考えていた。その内容はお手紙の返事として書くのでこちらでは割愛するが、手紙の内容を題材に自分ごととして議論ができたのがなんとも楽しかった。

『人間が想像できることは必ず人間が実現できる』

これは問答の途中でIさんに教えてもらった言葉。誰かの名言らしい。これは本当にその通りで、でも大抵の場合は何かしらの制限(できない理由)をつけて想像を妨げてしまう。日頃「◯◯できない」と言う人が「◯◯(している自分を想像)できない」だけなのだとしたら、じゃあどうすれば諸々の制限を設けることなく自由に想像ができるのか。そこの制限を外していくことを、仮にこの場が受け持つことができたら物凄く自由に発想が飛び交う空間になるのでは……なんて思いながら遅い時間までIさんとあれやこれや話した。

この日はじっくり集中して本を読まれる方や、本の内容をメモしながら学ばれる方、お酒を飲みながら談笑する方や、買った本の話をしに来てくれる方がバランスよく来店された。良い夜だった。