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【ひつじが週報】200321-200327

●200321

前日ひつじが一期生(卒業生)との卒業旅行をし、その時に貰ったひつじがパーカーを着て営業。嬉しさのあまり来店された方にこれ見よがしに自慢した。

その子らを含めこの一年でお店に関わってくれた卒業生達からサインを書いてもらって、その色紙をお店の壁に飾った。自分が大学生の頃に通っていたお店で同じように卒業する時にサインを書いて、それが今だに飾ってあるのが嬉しくて、お店をやると決めた時にまずこれだけは絶対にやろうと思ってた構想。懐で温めてたが、どれだけ自分が頑張ってもこればっかりは学生がいなければどうにもならなかったので、無事念願が叶って感慨深い。

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自分が色紙を書いた時にはお店側の気持ちはあまりわからなかったけど、月日が経って自分が同じ状況で貰う側に立ってみてわかった気がした。これだけの子達が日頃お店を支えてくれてたのが可視化されて見てるとなんだかやる気が湧いてくるし、その子達が戻ってくる場所を残していかねばと奮い立つこの感じ。今まで以上に「お店を残したい」と思ってしまった。物凄くありがたい。

今後も毎年お店に関わってくれる学生が卒業する時に色紙を貰って飾っていきたい。たまにそれを見に顔を出してくれる日を楽しみに待とう。

●200322

カウンター席で就活生と大学生と社会人が隣り合って座っていたので、自分も含めて四人で話していた。去年もそうだったけど、この時期特有で就活生と社会人のお客さんが隣あう場面が増える。就活をする上で「大人と話す」のに慣れておくに越したことはないので、こういう機会があればわりと積極的に間に入るようにしているが、最近ではその意図を汲み取って話してくれる大人のお客さんも増えてきて、この日もそんな感じだった。

某社に提出するエントリーシートの文章を読んで助言をしている横で、卒業生が社会人のお客さんに「学生と社会人の違いってなんですか?」と質問していた。問われた方の回答も面白く、また学生が独自に持ってた解釈も素敵だった。自分はどう考えているかも話した。この質問は気に入っていて、他の日にもたまに聞いたりしている。余裕があったら少し考えてみてください。

その日はその卒業生が会話の中心にいる時間帯がいつもより少しだけ多かった。就活生に対して自分の経験を教えて、社会人から自分が経験していない話を教わる。その二つを同時にやっていて素敵だった。初めて会った頃がそれこそ就活時期でただ教わる様子を見てきてたので、そこからの変化が見れたのも嬉しい。

ただ教えるだけでも教わるだけでもなく、そのどちらもできるような人間であってほしいし、それができたらたとえ何歳でも《社会人》になれるはず。あくまで個人的な見解です。

●200323

前職時代の同期が来店。配属地域も違ったので最後に見たのも入社三年目研修ぐらいで、もう何年振りかもわからない。お店をやっているとそういう久しぶりがたまに起こるのがうれしい。常に待ち合わせ場所にいる感覚。誰がきても扉を開けてもらえた時点で集合場所に集合したような気分になる。

古書店の方や大学卒業生、ご近所さんや作家さんのお知り合いがパラパラと来店。それぞれと、それぞれが置かれている状況や事情の話をする。誰と話をしても確実に「いつも通り」じゃないとの返答が返ってくるのも今ならではで、だからこそ平時に考えられないようなものを考えられたらいいですねなんて話をしていた。

とある若いお客さんの他に誰もいない時間帯が結構長かったので、ここぞとばかりに対面でじっくりお話を聞いて、お話をした。後々その人がSNSでひつじがのことを「大学のゼミの感覚」と紹介してくれていて、それがなんだか嬉しくてにやにやしてしまった。

学ぶ機会は学校の外にもたくさんある。このお店だってその中のひとつであってほしいし、その場を構成している人によって日々議題が移り変わるゼミのような空気感になる日も少しずつ増えてきた。それを楽しむ若い人(もちろん若くない人も)が集まってくれてうれしいし、その人たちに対して押し付けがましくなく学びの機会を提供していけたらと思う。それが結局自分の学びに繋がるはず。

●200324

この日も別の卒業生(この子も就活の時に話を聞いていた子)と就活生が同時に来店。最近この《卒業生》と《就活生》の組み合わせが多い。元からの知り合いもいるし、お店を介して知り合った子らもいる。いずれにしても直近の経験をもとに助言をしてくれる卒業生がいるのは頼もしい(自身の就活談はもう風化して役に立たないので)し、代々の繋がりが出来ていってて良い。就活生からの面接に臨む姿勢などの質問に直近の経験を元にアドバイスをしていた。自分が一年前にその子に言った助言をそのまましているのがなんだか微笑ましかった。

卒業生の子はこの日が福岡で過ごす最後の夜で、明日引っ越す挨拶も兼ねて来てくれていた。福岡を離れる前にこの店に来る就活生を応援したいとその子の飲み物代を奢っていて、就活生の子は「就活お世話になりました」と用意してたお菓子を渡してた。お互いを思いやる気持ちからのやさしい循環。このお店がきっかけで知り合った学生同士でそれが行われるとは思わなんで、驚いたし嬉しかった。若いうちから義理人情恩返しがしっかりできてて頼もしく思い、自分もまだまだ負けてられないなと気合が入った。

●200325

個展開催期間中。時期が時期だけに大々的な呼びかけができず心苦しい日が続くけど、この日は作家さんのお知り合いの方がパラパラと来店されていた。展示作品を見て感想を言ったり、在廊している作家さんと話したり。見えないものに最大限気を遣いながら、その上でなるだけ平常で過ごしてもらえたらと思う。それが正しいかどうかもいよいよ悩ましい段階になってきたけど、日々考えていくしかない。

●200326

一晩で来店2名(内1名は在廊していた作家さん)の凪オブ凪営業。ご時世的に仕方がないとはいえ、あわや坊主(来店ゼロ)の可能性もあって肝を冷やした。

最近はのんびりする時間帯の方が多いので、来られた方と様々なテーマでお話をしている。中でも「赤信号の時に信号を無視して渡りますか?」という話は三日連続ぐらいで議題にあがった。

最近また至る所で様々な決まりごと(や要請)が見受けられるになって、あらためて《ルール》ってなんだろうと考えている。考えているのは自分だけじゃなくて、来られた方々もおんなじのようで、持ってくる話題もその話に繋がるものが多い。

信号機の話に戻す。渡るかどうかの回答は千差万別だったが、多かったのは「状況によって無視して渡ることもある」だった。中には「絶対に渡らない」という人もいたが、「三分間変わらなくてかつ車が一台も通らなくても?」と意地悪な返答をしたらさすがに頭を抱えていた。(悪意はないですごめんなさい)

聞いた話をまとめていくと、どうやらルールを守るかどうかを判断する上ではその時に置かれている《状況》と《事情》に左右されるのがなんとなくわかった。信号の例で言うと状況は「車の往来が少ない」「信号がなかなか変わらない」などで、事情は「遅刻するかも知れない」「身近な人が事故にあった」などが考えられる。

その諸々の掛け算で天秤が「渡る」方に傾けば人は信号を無視してしまう。もちろん反対側の状況(車の往来が多い)や事情(特に急ぐ必要がない)次第で、そちらの方が重ければ「渡らない」方に傾く可能性もある。よっぽど芯の強い人でもない限り常にどちらかにゆらゆらと傾いている。

それぞれが選ぶ行動の裏側に《状況》と《事情》の掛け算があるとして、その裏側にある《状況》こそ目に見えるので他人に伝わっても、目に見えない《事情》の部分はなかなか伝わらない。車が少ないから信号を無視したんだろうなってことはわかっても、「もしかしたら重要な商談に遅れるのかもしれない」なんてことは普通はわからない。

わからないからこそ発言をする前に《わかる部分で判断する》か《わからない部分を想像する》のどちらかを選ばなければならず、そのどちらもできないやさしい人は《沈黙する》しかない。

知らない人の事情を想像するのはむずかしいし、そもそも自分本位であればそれをやる必要性もあんまりない。見えている状況だけで判断して物事を言えばいいし、実際なんとなく自分の周りでもそういうのが日に日に増えてきたように感じる。

わかりやすい話だと諸々の買い占めだったり。それに対する非難だったり。その人たちがそういう言動を選ぶのに対してもそれに至る《事情》を知らないので、結局賛否もつけれずただ想像するしかないんだけど、そうやって知らない人の《事情》を想像できるかどうかが今、そしてこれからものすごく大切になってくると思う。

想像するためにも、普段からある程度知らない人と接しておくのが肝要。何かあったときにその人たちの顔が見えたら「自分さえ良ければ」って気持ちも多少はなくなるし、家族や同僚などの「内の人」相手ではその感覚は持てない。

なんて話を毎晩のようにしています。ちょっとめんどくさいかもしれませんが、皆様の想像力を掻き立てる一助になれば幸いです。

●200327

開店直後、ご近所さんが少し遠方にお引越しするとのご挨拶にきてくださった。周りにいる面白い人を度々連れてこられたり、時折ふらっと遊びにこられて話(議論)相手になってもらったり、ひつじがが「まるでゼミの感覚」と言われる所以みたいなものを日々作ってくださってたので、ちょっぴり寂しくなる。

お店がなくならない限りは「久しぶり」の可能性があるのでそれを楽しみにしつつ、お店を飛び越えて議論を深める良い機会だと思ったので往復書簡の申し出をした。快く了承いただき、さっそく一通目も書いていただいた。お店で議論をしているような感覚でやりとりをして、他の方にもお店ではこんな話が繰り広げられてますよと伝えるきっかけになれば良いし、同じ地域(福岡)に暮らす人と「街を面白くする」話を今後していけるのが楽しみでもある。

外出自粛のご時世、お店に足を運びづらくなってきているからこそ、お店の外で目に止まる機会をどんどんつくっていきたい。東京で外出自粛の要請が出て、それに追随する動きがちらほら見えて、福岡のお店でも考える内容がこれまでとは少し変わってきた(その後28日に自粛要請が出た)。

何が正解なのかもなんだかよくわからない中で「何を言って、何を言わないか」を選ぶのはむずかしく、痺れる日々がもうずっと続いている。下手な選択をすると他所から何を言われるかわからないけど、それでも生きるために選択をしなければならない。最近日和って発言するのを躊躇ってたので反省しつつ、いつもと違う状況を面白がれるようにしていきたい。

どんな状況下であれ想像をやめないように。自戒。