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【ひつじが週報】200201-200207

●200201

開店前に空調工事の業者を手配し、暖房が復旧。なんとか無事に二月の初日、そして企画展『ひつじが展』の初日を迎える(翌日無事に再度暖房は壊れる)。搬入もあったので開店直後は作家さんが多く来店され、それぞれがご挨拶や、名刺の交換をされていた。今回の展示で初めてお会いする方もいたので、参加のお礼とご挨拶をする。同じ名字の作家さんがいらっしゃって、お互いに「下田です」と自己紹介するのがなんだか照れくさかった。

展示期間とはいえ通常営業なので、いつも通り本を読まれる方やおしゃべりをされる方も来店される。いつもと違う風景に一瞬面食らうも、すぐに空いている席を見つけて座っていつも通りカバンから本を出したり、話し始めたりして、良いなあと思いながらこちらもなるべくいつも通りであるように努めている。空調が壊れているとどうしても「いつも通り」でいる事ができなかったので、久しぶりのいつも通りをいつも以上に噛み締めた。

展示をしているから必ずそれを見なければならない、本を読んでいる人がいるから横で喋ってはいけない、なんてことはない。何かをするとどうしても「そうしなければならない空気感」が幾分漂ってしまうが、場の過ごし方はなるべく場側で強制したくない。最低限周りにいる人を気遣う必要はあれど、基本的に来られた方に自由に決めてもらいたいと思っている。せっかく飾っているので見てもらえたら嬉しいし、本を読む人が増えるのは当然嬉しい。でもそれは押し付けられるものではなくて、あくまで自分で「そうすること」を選ぶもの。こちら側はそうしたくなった時にそれをしやすいようなお膳立てをするまでに留めておきたい。

●200202

令和二年二月二日。だから何ってこともないが、なんとなく数字が並ぶのは気持ちがいい。そんな朗らかさを横目に、(前日分でも書いたが)空調が静かに息を引きとる。昨日までの「いつも通り」とは一体何だったのか。そこそこの修理代金を支払ったのにも関わらず、延命期間わずか一日。再び来店された方に冒頭謝罪する日常のゴングが鳴ってしまった。まあ、企画展初日に寒くなかっただけまだましだったのかもしれない。

三月に個展を開催いただく作家さんが来られて、展示のコンセプトや個展タイトルを話し合っていた。やる前から丁寧に相談に来てくれるのは物凄くありがたい。こちらからこうして欲しいなんて言うことは滅多にないものの、考える段階から一緒にやっているとズレも少なくて気持ちが良い。また案を出す時に参考になりそうな本は店内にもあるので、思いついたらパッと手に取れるのもまた良い。この日は遊泳舎さんの『言の葉連想辞典』や『ロマンスの辞典』などをパラパラとめくりながら言葉を探していた。素晴らしい言葉がいくつか見つかって、その中の一つは展示のタイトルにも使われていた。

本はただ黙って読むためだけのものではない。時には話のネタにもなり、また時にはこうやって脳を拡張してアイデアを見つける道具にもなる。いろいろな角度から、いろいろな使い方を試して、もっと本を生活に紐づくものとして位置付けていけたらと思う。

●200203

凪営業。寒いから凪なのか、凪だから寒いのか。答えは出ないが、ただ一つわかるのは空調が壊れているから寒いという紛れもない真実。夜になるにつれて冷えの勢いが増してきたので、たまらず臨時閉店。

●200204

この日もまだ空調は壊れている。空調が壊れていると、話題や思考の大部分を「空調が壊れている」に持っていかれてよくない。結果この週報もどんどん空調が壊れている話に侵食されつつある。このまま週報もとい『空調壊れた日記』にならないように、なんとか踏ん張りたいところ。(そうは言ってもこれ以上人事の尽くしようもないので、早いところ工事してもらいたいところ)

●200205

連日の凪。空調が壊れている期間の売り上げが絶望的で、(これから襲い来るであろう空調工事代金の負担も相まって)どうしたものかと頭を抱えつつ、工事の日程が明日に決まり一旦安堵。

●200206

工事。これでやっと平穏が戻る、と思いきや諸般の都合(工事会社の名誉のために伏せておきます)により本日中に直らないことが判明し、急遽一日延長。一刻も早く抜け出したいものの、なかなか一回休みの沼から抜け出せず、『空調壊れた日記』をやむなく延長することに。営業一年目のラストにしてひつじが史上稀に見ぬ急ブレーキ。世の中はそんなに甘くない、と思ったが実際空調の問題なので世の中はまったく関係ない。

そんな折にも明るい話題が。

基本的にひつじが店内で書籍の販売及び貸出はおこなってこなかったが、昨年末からひっそりと店内で新刊の販売をしている。そうはいっても書店みたいにいくつもの本を並べているわけではなく、基本的に自分が勧めたい1冊だけを売る超攻撃的手法。1冊目は遊泳舎さんの『26文字のラブレター』という本で、刊行時にパネル展をやってもらい、それに合わせて販売した。そして年が明けて今販売しているのが『小学校には、バーくらいある』という本。東京にあるバーの店主さんが書かれていて、考えているところが非常に近しく(というのもおこがましいが)、またひつじが店内で閲覧用として置いていたその本を読んだ方が「これってひつじがっぽいですね」だったり、「書店に行ったけど売ってなかったです」だったり、度々話題にあげてくれていた。現に自分もこの本を読んで「こういう場にしていきたいな」という気持ちになっている。そのぐらいにこの本には本来は自分がこういう媒体を使って発信していかなければならない言葉が詰め込まれている。そんな本なので、是が非でも周りの方々の手元にも届いてほしく、そのバーの店主さんに相談をして、数冊置かせて頂くことになった。その本を、買ってくださる方がいらっしゃった。しかも「自分の子供に読ませたいから」という、この上ない理由で。

本を届けるのはむずかしい。好きだから売れるわけでもないし、むしろ好きなものほど(商売にしたいと思えないので)お勧めしにくい。今まではあまりピンときてなかったけど、自分で売ってみてそういうことに気づいた。ただ、売れなければ次が出てこない(消えて無くなる)のもまた事実なので、残したいと思うものはやっぱり沢山の人に手にしてもらわねばならない。その一端を担えるようになりたいし、自分の好きなものでそれができるのは有難いことなのかもしれない。今後、増えても数冊ぐらいで、本の販売も続けていけたら。

●200207

空調が!直りました!

と浮かれた発言を思わずしてしまうぐらいに、あっけなく空調工事は完了した。対価として買うのを我慢していたゲーム機を数台購入できるぐらいの代金は支払ったが、いずれにしても今ゲームなんてしている暇はないのでこれでよかったのかもしれない。浮かれて翌日地獄に叩き落とされるリスクは残る(二月二日参照)ので油断はできないものの、ひとまず暖かい店内を取り戻した。そんな絶妙なタイミングで久しぶりにご来店いただく方などもいて、ここ数日の絶望は一体なんだったんだろうとほっと胸をなでおろす。そして『小学校には、バーくらいある』がこの日も一冊自分の手元から旅立った。物凄く地道で物凄く非効率かもしれないが、目に見えてじわじわと広がっていくのを感じられるのは、本を販売する良さだと思う。

空調の懸念がどこかへ行って、その分思考をするゆとりができた。そんな折に某音楽家さんが来店。どうすれば存在を広く認知してもらえるかについて相談したいとのことで、一緒に頭を抱えた。立場は違えど、考えなければならないことは音楽家も飲食店も、作家も同じ。その広さをどこに設定するかによっては、そういう創作や接客を生業としている人だけでなく、全員が悩んでいることなのかもしれない。「存在の認知」は奥深くて、一筋縄で解決しない課題。だからこそ、こうして日々様々な畑の人が一緒に頭を抱えるべく来店してくれるのは嬉しい。そういう話をしてもいい、考えてもいい場所としての認知を広げたい。