見出し画像

過去は「きっとそれでよかった」こと

今考えれば


少し前の話になりますが、

そのころ

日々ブログを書いておりまして


結構、昔のことを

思い出しながら書いているので


「なーつーかーしーーー」

ってなります。


あんなこともあった・・・

こんなこともあった・・・


わたしが強制的に

自分のことに向き合わされ始めたのは

2014年なので。

それまでは

いかに、外側の社会の適応するか

どうやって社会で上手く生きていくか

に腐心しておりました。


今考えれば

「自分を見なさい」っていうサインは

いっぱいあったのに

全然やらなかった・・・笑


どうにか「みんなと同じように」


どうにか「社会で評価されるように」


どうにか「ちゃんとできるように」


しか視界に入ってなかったんだろーなーーー

で、

いろんなものが壊れて

何をやっても全然うまくいかなくなって

行き詰まって身動きが取れなくなって

強制的に方向転換せざるを得なくなった時


ある方が

「この山(方向転換)は、

 ゆっくり登ってもいいし

 最短距離を行ってもいいんですよ〜」

って言ってて。


「くっそ!絶対最短距離で登ってやる!」

って思ったのを覚えています。笑

まあ、最短距離かどうかは

置いておいて。


自分なりに、その時できることを最大限に

やってきた・・・・つもりではあります。

もっとできただろうな〜ってのもありますが

その時のわたしには、できなかった。



あれがなければ


だから、いいのです。


早いとか遅いとか

若いとか年齢を重ねてるとか

それはどこまで行っても

他人と比べた相対評価で。


早いからいいのか

ゆっくりがいいのか

駆け上がるのがいいのか

しばらく留まるのがいいのか

そんなの、わかりませんもの。


「今」の自分にちょうどいいことが

起きている・・・・

はずです。


後悔することもあるけど

あの時の自分の、あれが精一杯

だった・・・・・・

はずなのです。


頑張って社会で適応しようとしてきた

あの時の自分の頑張りも

「今」すごく、役立っています。

あれがなければ

「今のお仕事」はできなかったと思います。

だから、あれも必要だったのです。


なんかね〜〜〜そう思うと

本当に、全てがいい感じにできてる。

すごいタイミングで

いろんなことが起こる。


それを、どれだけ受け取れるか

だけなのかな〜〜〜〜って

思うのです。

どうせ受け取れる分しか受け取れないから

だったら

思いっきり両手を開いて

怖がらずに受け取っていこう!

と思ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?