あたしのdesire、情熱の薔薇Since1985
すべてのものは今のままで完全で完璧な愛なんだとわかった。
そう思えなかったから癒やしたし
そう思えないから
その思えなさの中身を癒すんだ。
癒やされてきた自分の世界が良くなっているから、みんなに教えなきゃっていうときは、他人を癒されるべく人と見ているし、そう見ているのはあたしだ。
結局あたしが、癒やされる時なだけだ。
どんなに悪で間違ってるように見える人がいて、自分の考えで正したくなったとして、そう見えてるのはあたしだし、
あたしを思い出す為にあたしをあたしに出合わせてくれる素材なだけだった。
その素材で癒やしが起きたとき、
悪で間違ってるように見えるものの中身が見えた。
あたしと同じように愛だった。
(よく言ったもんだ!)
あたしと同じように怖がってるし、人を幸せにしたいとも思ってた。
その時、罪が在るんだと感じた。
あたしに。
とどのつまり
自分の罪悪感を癒す。
分離したから、
分離を癒すんだ。
相手はあたしだ。
あなたが居ないとあたしに出会えない。
そしてあたしがあたしに出会った
あたしは許して欲しかった
あたしの罪を許して欲しかったんだ。
許されなかった罪を
相手に過去の罪のあたしを見て
お前は許せない
絶対おかしい、と
今では上から目線になったあたしが裁いてた。
人のことを責めている時は
自分は正しく、善き者としていられる。
罪の自分を棚にあげて悪者を創れるんだ。
もし悪者がいて、自分が正しく、善き者で、あたしが悪者を許し、こころ大きな人で、あたしの愛で悪(分離)を包み込むとしたら、
あたしはそれもあまり嬉しくないんだよ。
悪に映し出すそれはあたしにもあるからね。
そこで目を瞑る。
分離なんだ
やっぱり分離をみてるんだ。
あたしはもうあなたを裁けない
なぜならあなたはわたしだからね。
しつこい(笑)
あたしがあたしに許されることだった。
弟が高校の頃にケンカで殴られた時 傷だらけの顔を見てあたしは苦しかった。「殴った方も殴られた方と同じ痛みを感じたらケンカは無くなるのに」と感じたあの日から、あたし中に分離のテーマがあった。
社会活動で政治に批判のスピーチをした時、その言葉が自分の耳に聞こえて違和感に気づいた。だから社会活動が出来なくなったんだ。
あなたはわたしなんだ。
裁けない。
もう裁けないから自分を見る。
あるよ、desireが。
あたしは自分をけがれた罪人と思ってたから自分を見るのが怖かったし
望みや欲求は叶わないし、
欲しがることを封印してたけど、
未だずっとある。
あたしは自分の望みに素直になってみた。
そしたら渇望は薄まり、あったものに気づき始めた。
渇望は終わりそうだ。
渇望を癒し
渇望からの欲求ではなく
あたしという人間のピュアな欲求が現れた。
そう
あたしはdesireの明菜ちゃんが大好きなんだよ。
ずっとメッセージをくれてる。
(だから1人芝居にも明菜ちゃんのdesireを取り入れた)
他人に行ってた目を
あたしに向けて
desireの前に立っている。
そこからの
情熱の薔薇かな😁
もう敵はいない。
それはわかってしまった。