見出し画像

適正な距離を保つことが大切なのは、コロナ禍だけではないのかもしれない

かくして、飛将は私の牛になったわけだが、実のところ、私は動物が大の苦手だ。

犬も猫も、見ればかわいいと思うし、鳥はとっても好きだが触れない。子どもの頃からどうも、動きに予想がつかないところが苦手なのだと思っている。おそらく何とは言わず毛のアレルギーがあるらしいし、体が拒否をしている模様。

となれば牛など触れるはずもなく、犬や猫以上に動きの予想はつきにくい。おまけに角はあるし、意外かもしれないが、ものすごく俊敏だ。

もしかしたら牛は普段、のんびりとしていて、「牛歩」と言われるくらいだからゆったりと動くイメージをもたれているかもしれないが、スーパー速い。余白なくさっと動く。振りかぶることなく角を振る。だから角突きがおもしろいのだけれど。

画像1

なので、こうなる。

せがれ師匠に「『へっぴり腰』の見本」と言わしめた初なでなで。飛将も困惑気味。

画像2

微妙な距離。

まだまだ小さかった4歳の飛将。私にとっては、巨大で俊敏な生き物。かわいいという気持ちもまだあまりなく、角突き牛を持った、ということでしかなかった。これが私の牛か・・・という感じ。今よく見れば、ものすごくかわいい。なんだこのかわいい牛は、飛将か、そうか飛将か。

仔牛というのは、抱えられるほど小さくて、人懐っこく顔を寄せてきてくれるイメージで、事実そうかもしれない。ただ私の牛・飛将はすでに4歳で、そういったところはすでに過ぎ、おまけに性格的に神経質なところがあると聞いた。少し人の動きを気にする様子を見せたり、特に私のように怖がっている人間に対しては何か警戒していたのかもしれない。

よく犬が苦手だというと、怖がるから犬にわかっちゃうんだよ、とか言われるが、おそらく私がびくびくしているのが飛将にわかってしまっていたのだと思う。飛将が少し動く、私がびっくりして動く、飛将がそれにびっくりしてそわそわする、という悪循環。そんな期間がずいぶんあったし、正直2年たった今も、やっぱり少しはまだそんなところもある。お互いに。

画像3

へっぴり腰の見本から、ちょうど一年たった頃。

見違える成長をした。主に私が。

飛将もでかくなった。本当に大きくなった。べったりくっついてなでなでもできるし、触りたくて仕方ない。私の都合でなでたり触ったりするので、飛将としてはもううんざりしてくるらしく、もういいんだけど・・・という感じで体をそらすという切ないことにもなっている。

「あまり構いすぎると、角突きをやめるようになるよ」

と、先日先輩牛持ちに忠告された。確かに、男の人たちはもっとドライなかわいがり方をしているイメージはある。他から見たら、猫かわいがりのように見えているかもしれない。命を懸けた勝負の世界にいる牛なのだから(勝敗はつけないにしても)そういう甘やかしはどうかということなのかもしれない。どういった理由かはわからないが、本当にそうなのかは、飛将と私で結果を出したいと思っている。

今のところ、溺愛してでれでれとかわいがっているのは私の方だけで、飛将はめちゃくちゃクールである。そこがいいのだけれど。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?