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「牛を決める」というイベントが発生する我が人生

牛は自分で決めた。

牛持ちになることを決めたので、今度は牛を決めなくてはならない。
角突きをさせる牛なので強い牛がもちろんいいのだけれど、どの牛が強いか強くなるのかは、どんなベテランの牛持ちでも見極めは難しいらしい。
牛持ちの中には勧められた牛に決める人もいるらしいが、私は自分で決めることにした。
自分の決めた牛にすることで、一切の後悔や言い訳をしたくなかったからだ。
どんなに弱い牛になったとしても、自分で決めた自分の牛だ。
誰かに無理やりあてがわれたわけではない。
すべて自分の責任。その覚悟をすべきと思った。

それに、牛はただではない。

そして、しがない会社員の私にとって安いわけがない。
ものすごく吟味した上で、一番気に入った牛を、そこは多少無理をしたとしても一生に一度の自分の牛だ、私は自分で選びたかった。

候補はまず3頭に絞られた。

その中の一頭はまだ岩手からやってきたばかりの3歳牛で、角突きをしているところを見たことがない。
角突きは3歳がデビューとなるのだが、未知数の牛を選ぶほどの度胸が私にはなかった。
もちろん、多くの牛持ちの方がデビュー前に牛を決め、自分の牛にする。
諸先輩方に聞きとりを行ったところ、角がいい、体つきがいい、脚がいい、雰囲気がいい、などなど、牛持ちによって見るところ感じるところがさまざまあるらしい。
これは本当に尊敬する。何十年と角突きに関わり、牛を見てきた経験がものを言うというものだ。
私にはどの牛がよりよい牛なのかさっぱりわからず、3歳牛を選ぶことは断念した。

残ったうちの一頭はとても身体が柔らかく、首の使い方が独特で、顔もかわいらしい牛だった。
これは私の持論だが、受け身はセンスであり、身体が柔らかいのは生まれ持った才能で、この牛は決して負けない牛だと思った。
また、三代目・庄八はとても身体が柔らかく、受け身が華麗な牛だったので、それほど大きな牛ではなかったのにもかかわらず、どんな攻撃をされても決して負けない強い牛だった。
そこにロマンを感じてしまった私に、この牛は魅力的に映った。

最後の一頭は、一年間角突きを見てきた4歳になる牛で、なんとなくセンスを感じる牛だった。
センス、といっても何をもってセンスというかは何とも言えない。ごめんなさい。
ただ、私の記憶の中にひとつのシーンがあった。
相手に頭をつけ、その頭を残したまま、後ろ脚を素早く移動させて一番力の出せる有利な体勢に全身を持っていく動き。
こんな動き、庄八がしていたな・・・
庄八が引退してからというもの、たびたび感傷的になったりした。
この牛いいかもな。そう思っていた。

選考は2頭に絞られた。

自分で決めたいとはいえ、たかだか5年ほど観客として角突きを見ていただけの若輩者だ。
そこは専門的な意見も参考にしたいところだ。
その頃には、こつこつと通っていたことで、三代目・庄八の牛持ちである庄八さんと、その倅さん(せがれ師匠)と繋がりを持つことができていた。
おそらく1か月は牛選びに付き合わせてしまったと思う。
しかし、あの日本一の角突き牛である三代目・庄八を持っていた牛持ち親子にすでに全幅の信頼を置いていた。
迷いに迷い、ほとんど決まっているのに迷い続ける私の背中を押してもらうような形で牛は決まった。

「大希」という名前の4歳の赤牛。

大希は、私の牛になった。
私の牛になり、牛より先に決まっていた名前の「飛将」に改名した。
初めは大希感が強かったけれど、だんだんと飛将という顔つきになっていったように思う。
元は「大きな希望」という意味の名前だったのだろうか。
名前は飛将になったが、私にとっての大きな希望に変わりない。

牛持ちおくまと飛将は、平成31年山古志牛の角突き初場所よりのデビューが決まった。



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