2022年1月28日(金)

 今日は薄曇り。ふつうに寒い。寒いのがふつう。

 出生前診断の記事を読んだ。第二子が生まれる前の自分であれば、何の迷いもなく受けるべきで、避けられるリスクなら当然避けるべきと賢しらに言っていたに違いない。
 第二子が生まれた途端に大変なことになって、PICU、NICUと見慣れぬ病棟をはしごして、一般病棟まで辿り着いた。その過程で失われてしまった命を見たし、障害を持ちながら命を繋いでいる子達も見た。
 ずっと入院していて、親が月に何日かしか病院に来られないというケースも見た。上に何人か兄弟がいて、入院期間がすでに数年経っている子だった。三度か四度経験したが、入院している乳幼児の付き添いというのは半端なく重労働で、日常生活をたやすく破壊するのを痛いほど思い知った。その子の親が薄情だとかそういうことではないだろう。
 我が子も同じようになるという覚悟もした。もっとも生き死にが目下の問題だった我が子については、明日ですら怖くてもっと先の将来の事など、おちおち医師に尋ねられなかったが……

 というような経験を経て、何が正しいか、少なくとも自分にとって何が正解なのかというのは私には分からなくなった。ただ、生まれる子供に障害があることが分かった場合、中絶しようがしまいが親は何かしらの負の事象に直面する。我が家でも一度、出生前診断の話をしたことがあるが、何か分かったところで命をどうこうする決断はしたくないし、生まれてからなんらかの障害がわかることもあるのだし、自分たちは診断はしないという結論に至った。

 優生学と結びついてしまうと厄介なので安易なことは言えないが、9割が中絶しているという現状を追認するのであれば、少しでも中絶する人の心的負担を減らすようにシステムを作って欲しい。親は、みんな普通はそうしてるからそうしただけ、と上面だけでも思えれば、多少は…… そして、1割として生まれた子供に手厚い補助をして欲しい。
 と書いてみたが、良くない思想とすぐに結びつきそうだし、システムの本義など人はすぐに見失ってしまうし、安易な解決策はなさそうだ。

 まあ、人間生きていても辛いことばかりだが、死んで虚無に帰るよりはマシと思って生き続けるしかないし、生まれた命は大切にしたい。という雑なことしか言えぬ。


 今日の晩御飯は久しぶりの刺身だ。昨日、牡蠣を買ったが安いのに身が大きくて最高だった。コロナはとうとう知り合いレベルで発生しはじめていて、怖い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?