私設図書館を私設公民館に再構築した話
こんにちは。「私設公民館いとなみ」館長の佐々木雄介です。
みなさんは私設公民館と聞いてどんな場所をイメージしますか?
「公民館」は自治体が運営している公的な施設のイメージが強いかもですが、それを「私設」ってどういうこと?
カルチャーセンターのようなイメージ?若い人が集まっているイメージはあんまりない?
たぶん人によって様々なイメージがあると思いますし、それぞれ違くていいのだと思っています。そんな懐の深さを求めて、私たちも「私設公民館いとなみ」を日々試行錯誤で運営しています。
今回は
・私設公民館ってなんだ?
・具体的にどんな効果が生まれてる?
・どんな未来を目指しているのか?これから続けていく課題は?
ということについて書いていきたいと思います。興味ある方はぜひ最後までお付き合いください。
さて、私たちは人口5600人の福島県西会津町、その中でもさらに中心部からは離れた上野尻という集落内で「私設公民館いとなみ」を運営しています。
民家だった空き家をセルフリノベーションし、1階を図書館、2階は趣味や仕事で使えるレンタルスペースとして解放しています。
実は「いとなみ」のスタートは2021年6月、当初は「公民館」ではなく「私設図書館」として、1階を図書館、2階をコワーキングスペースでの構成から始まりました。田舎に暮らす上で良質な「本」に触れたり、若い世代が集まれる場所の少なさを感じていた私たちは、自分たちの欲しいものを作る、今にして思えば、当時の自分たちの「渇き」ともいえる文化やカルチャーとの接点を満たすための場所づくりとして、「いとなみ」を創り上げました。
図書館部分には「一箱本棚オーナー制度」という顔の見える本棚を導入したこともあり、オーナーさんたち、本を寄贈してくれる町内外の知人友人、いとなみを訪れてくれる利用者さんたちなど、「本」を起点に子どもから大人まで、多くの出会いにつながってきました。
それから2年。田舎における「本」をフックとしたときの脆弱性、特に「図書館」という本の貸し借りがメインコミュニケーションとなることによって、どうしても近隣圏を対象にしたスキームになるのですが、その近隣圏、いわゆる田舎での「本を読む」カルチャーがまだまだ育っていないこと(※)、コロナの収束に伴うリモートワーク需要の減少(特に田舎では顕著だった?)を体感しました。
※まったく読まない人も結構多い。読書好きもいないわけではないが、読む本の好みが異なり、自分たちの求める本とのミスマッチがあった。
たぶんこれは個人の責任ではなく良質な「本屋」や「図書館」との出会いがない、ということに起因している気がしている。Amazonで本を読むカルチャーは育つのか?という疑問はまた別に紐解いてみたいテーマの一つ。
とはいえ、「本」が自分たちの日々の暮らしに彩りを与えてくれているという事実、そして同じような想いを持つ人は少なくても近くに必ずいるはずだという確信もあり、「本」を起点にした場所づくりをあきらめるという選択肢ではなく、どう形を変えていくかを思案していました。
そんなとき、2022年の冬、その年に福島にUターンした友人との出会いが転機となりました。
もともと奥さんの友人だった彼は東京でボーカル&ギターレッスンの講師として活躍しており、話の流れから、いとなみの二階を使ってボーカル&ギターレッスンを開講してみよう!と話がとんとん拍子で進みました。
田舎にはカラオケ好きのお母さんや子どもたちも多く、少しずつ生徒も増え、自分たちも「音楽」や彼の好きな「ファッション」というカルチャーとの接点が新たに生まれ、個人的な主観ですが、田舎の楽しみ方が拡がった感覚でした。
それと並行して、集落の俳句会、編み物の販売やワークショップ、プラモデルを作る会や、ボードゲームをする会、マインドフルネスの会など、「本」以外の場所の使い方をいろんな人が持ち込んでくれて、いい意味で「本」は手段であり、こうやって人が集まって、「次なにするー?」みたいな会話が生まれる景色こそが見たかったのだと思うようになりました。
その結果、ふとした会話からこれって「公民館」っぽくない?(いろんな企画が営利目的でなく立ち上がる感じとか)となり、図書館は機能として内包する形で、「私設公民館」へと変化していくことになりました。
この変化にあたっては、新たにコンテンツを生み出すしたり、ハードを変容させたりということはなく、すでに偶発的に生まれていた実態に対して、外側のラベリングを再構築した、という表現が適切だなと思っています。
公民館自体の定義や事例ももちろん国内外に多々ありますが、一般的な定義よりも、ここで営まれたプロセスを共有する方が、私たちがなぜ「私設公民館」と名付けたか、どんな場所なのかをイメージしてもらうことができるのではないかと思って、このような時系列に沿った書き方とさせていただきました。
今では、お米と大豆、それらを使った味噌を自らの手で作り出せるようになるための、通年型の農業体験プロジェクト「5546プロジェクト」の運営などもしており、この集落でもともと大事にされていたもの、新たに生み出されたもの、新旧の営みが混ざり合い、この集落での暮らしがさらに豊かになっていく、そんな未来を目指して、運営を続けています。
https://5546-project.amebaownd.com/
最後に、私たち(特に本記事の書き手である私、ユウスケ)が目指す未来のイメージや課題感を共有して締めたいと思います。
私は、次の世代、今の子どもたちが大人になるまで、田舎で暮らすという選択肢を残すこと、田舎で自分たちが享受してきた楽しさや豊かさを途絶えさせないことを目指しています。彼ら彼女たちが大人になったときに、やっぱり田舎はつまらない、なくなっても構わないと決断し途絶えてしまう可能性もあるかもしれませんが、少なくとも自分たちの世代の努力不足によってそれが途絶えてしまうことはしたくない。そんな気持ちです。
そしてここ「私設公民館いとなみ」は、田舎で暮らすことをあきらめないための装置(暮らしをもっと楽しむための装置といってもいい)だなと思っています。「田舎だから」「人が少ないから」という理由で何かを我慢するのではなく、この時代だからこそできる仕組みやテクノロジーの力を活用して、ここでの暮らしとマッチする形で新しい機能がどんどん増えてもいいのではないでしょうか。そんな視点でこれからの「いとなみ」が取り組む3つの柱を考えてみました。(状況に合わせて変わっていくので、あくまで現段階のもの)
①都市ではあたりまえに享受できる機能の集積(本、趣味、集まれる場所等)
②みんなの「やってみたい」を形にする (企画の持ち込み大歓迎です)
③田舎のいい文化を若者が体験/継承する (地域と乖離したくはない。地域で紡がれた「営み」も大切にしたい。)
これらは特定の世代に限定した取り組みではないものの、その中でもメインターゲットというか、一番ここに関わってほしい世代は20代~40代の大人たちです。子どもたちの親世代や、子どもたちが将来を考える上でロールモデルになる若者世代、それらの大人たちが田舎での暮らしをしっかり楽しんでいること、その姿を子どもたちに見せることが何より重要だと考えているからです。もちろん、地域の営みを大切にする上で、さらに上の世代の方たちとも関係構築はしていますし、さらにしていきたいので、あくまでコアターゲットとしてのお話として捉えてもらえたら幸いです。
ここまでは目指す理想像について、かなり綺麗事というか理想論を述べてきました。おそらくこれを読んでいる方たちも想像している通り、課題がないわけではまったくありません。
・経済的にどうやって持続させていくのか。
・私設公民館という聞きなれない場所をどうやって認知してもらうのか
このあたりは「私設図書館」時代から変わらぬ課題ですので、真摯に向き合っていきたいと思います。
このあたりのいわゆる「解決策」としての方向性は見えてきたらまた記事にしたいと思うので、今日のところは、「どんな想いでやっているか」「どんな場所を目指しているか」をしっかり言葉にしたいと思いましたので、割愛することご了承ください。
私たち一人一人ではできることは限られています。体は一つ、時間は24時間です。
だからこそ、より多くの仲間と出会いたい、その関係から生まれる化学反応を楽しみたい。
その結果、この集落に暮らす人々、これから暮らすかもしれない人々、たまに帰省する人々、旅で訪れる人々の、ここ上野尻で過ごす時間が、少しでも楽しい思い出として、原体験として積もっていく、そんな未来を実現したいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ぜひいとなみに遊びに立ち寄っていただき、一緒に「田舎暮らし」を楽しむ仲間になってもらえたら嬉しい限りです。
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