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気づかないこと

 ハラスメントについての話が含まれます。少し嫌な話をするので、ご注意ください。


 気づかないことは、生きていれば結構ある。

 情報の多いこの時代、いろいろなことに心のリソースを割いているともたない。疲れる。気づかない力は必要とされているのかもしれない。この力は鈍感力、という言い方がされることもある。
 そして、ヒトトギスはこの鈍感力というものが結構あるタイプだと思う。

 鈍感力は一方で、何か大きな見落としを起こす場合がある。当たり前だ。気づいていないのだから、本人に悪気があるとかないとかの問題ではないのだが、本人が「自分が気づいていなかった」ことに気づいたときにどう思うか。これが問題だ。ヒトトギスの場合、内容によってはそれなりに落ち込む。

 なぜ断定かというと、それが実際にあったからだ。


 とある同性の友人(と言っても差し支えない人)は、年が少し上で能力がある人で、少し合わない部分はあるが尊敬していた。話をしていても特に嫌な気分になるということもないし、教養があるからヒトトギスの知らない専門知識を伝えてくれたりもしてくれた。そんな彼とは数年付き合いがあり、それなりに仲良くなった。


ただ、彼はセクハラをしていた。

 具体的なことは書かないが、少なくとも世間が見ればそれはセクハラに該当してもおかしくはないことがあった。

 このことには彼とあまり会わなくなってから気づいた。周りの別の友人が言っていたことに加え、改めて考えると明らかに人との距離感がおかしかった。年下の女性に限って。
 普段ずっとそういった感じだったわけでもないし、彼自身おそらくセクハラだと思っていないのだろう。これを書いていても少し悲しいのだが、誰も言えない状況の中彼はそういったことをやっていたのだ。周りからの評価も悪くなかったし、認められていたし、頑張っている部分も確かにあった。ただ、それがフィルターになって、抑止力になって、誰も止められなかった。



 気づけなかったことに気づくと、その人の評価はぐらりと揺らぎ、そしてガラガラと崩れていく。それに伴って自分に対しても、お前ってその程度の視野なんだ、と脳内で自分が言う。
 悲しいような、悔しいような、それでいて無力な自分を恥じるような、そんな気持ち。嫌な気持ちをした人たちへの申し訳なさが募る。

 ただ、自分の行動を見直すきっかけにもなる。彼は「気づいていなかった」。気づけていればきっと彼のことだから変わることができたはずだ。悔しいのなら、まずは人の振り見て我が振り直せ。もしかすると自分も気づけていないだけで、何かしてしまっているかもしれないのだから。

 もちろん冒頭で言った通り、気にしすぎても体に毒だ。



 蛇足だが、彼とは今ほとんどかかわりがない。連絡先は持っているが、連絡することもほぼない。彼の行動が依然と変わっていなければ、きっと環境によっては許されるだろうし、そうじゃない場合もあるだろう。彼の名前をニュースで見ることがないよう願うばかりだ。

…それこそ、気づかない方がいいかもしれない。

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