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これも多様性

同年代の人からはびっくりされると思うけれど、わたしは志村けんさんのことをほとんど知らない。

わたしが子どもの頃はテレビ全盛期だったし、『8時だョ!全員集合』はもちろん放映されていた。でも、うちは親がチャンネルをコントロールしていて、この番組は見せてもらえなかった。小学校の5年生か6年生ぐらいまで、民放自体ほとんど見なかったと思う。その後はなぜか解禁されて、何を見てもよくなったが、時すでに遅しだった。

その後も、志村けんさんが出ている番組をじっくり見た記憶もなくて、どんな人だったのか、実はあまりよく知らない。
今回亡くなられて、感染症の犠牲になられたことをとても残念だと思うし、いつも当たり前に名前が出ていた存在が消えてしまったという、ぼんやりした喪失感もある。でもそれ以上ではない。

わたしにとってドリフは、「みんなは常識として知っているのに自分だけが知らない」の代表格だった。「あの時代の人なら必ず知っているドリフネタ」の話題になるとサッと身構えて、その話題が過ぎ去るまで曖昧に微笑むほかなかった。若い頃にこういう事情について説明をしても「えー、しんじられなーい!」という反応がきて傷つくし、場をしらけさせるだけなので、黙っていた。そのときだけ突然、自分がシールドの外にはじき出されたみたいに気持ちなる。楽しかったのに、ドリフのせいで突然居心地が悪くなる。

わたしの子どもの頃というのは、今では考えられないぐらいに、同質性の強い時代だったのだ。

かといって、話題についていけるようにレンタルビデオで見てみようとも思わなかった。1971年〜1985年というあの時代だったからおもしろかったのであって。「わたしは可哀想な子じゃない」「知らないことをバカにする奴らには負けねぇ」という気持ちもあったのかもしれない。
だいたい、もし見ていたとしても、おもしろがれなかった可能性もすごくある。当時のわたしの興味関心を思うと。


そう、これも多様性。
個別性や例外に目を向けてもらいたい、という気持ちをずっともって生きている。だから場づくりなんてものを仕事にしているのだろう。

わたしも「サンタさんは全世帯にくる」をはじめとして、知らないうちに人に圧力をかけていただろうなぁと思う。

まぁ今は、「厳しい家庭で育ったのでドリフを見せてもらえなかった」という人が他にいるのも知っているので、子どものときほどあれこれ思わない。
時代も変わってきて、一人ひとりが個別の存在という前提が確認できてきたので、「知らない」「わからない」も言いやすくなった。

亡くなられたのを機に、言葉にできてよかった。
たくさんの人に愛されていた方なんだな。
ご冥福をお祈りします。

(あ、もちろん、わたしの前でドリフの話は絶対にしないでよ!という圧力でもありませんので......。お酒が飲めない人みたいな感じで、その楽しさ共有できなくてごめんねーって感じです。)