マスタード

ツイッターで流れてきてふと目が留まった記事。

古谷真知子さんという方の「粒マスタードを作ってみたら、ポトフやベーコンがもっと美味しくなった話」。マスタードってこんなに簡単に作れるんだ!と驚いて、さっそく作ってみた。

そうしたらほんとうに簡単で美味しかった。
材料の酢や塩を変えたり、潰し具合を変えたらまた違いがありそうで、これから楽しみになった。古谷さん、ありがとうございます。

マスタードシードは一般的なスーパーや商店には売っていない食材。わたしはスパイス類はいつもここで買っています。ネットでも買えます。ご参考まで。

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作ってみて思ったのは、自分で作る方が断然美味しいし、楽しいし、満足感があるということだった。

わたしがそういうことを感じられるようになったのは、10年前にブレンダーを買ってマヨネーズを作ったことがはじまりだったと思う。そもそもブレンダーを買ったのは、息子の離乳食を作るためだった。付属していたレシピ本をパラパラ見ていたら、マヨネーズが一番簡単にできそうだったので、ふと作ってみたら、いつも買ってくるマヨネーズと全然違って、ほんとうに美味しかった。それ以来、なるべくマヨネーズは必要なときに作るようになった。

ある日家の近所にオリーブオイルの専門店ができた。特に買うあてもなくふらっと入ると、お店の人がいろいろと教えてくれる。そういえば「とにかくいいオリーブオイルと塩があればなんだって美味しくなるから」と以前友人が言ってたっけ、と思い出した。そのあたりからドレッシングも作るようになった。そういえば買っても余らせて、年末の大掃除で処分するまで気づかないとかよくあったな...と思う。必要な分だけ作れるから、経済的だ。

お味噌を自作する人が増えてきたと感じたのもこの頃。お味噌の会をひらいている人のところに行って、毎年仕込むようになった。今までは面倒臭くてフリーズドライのお味噌汁で済ませていたようなときもあったのに、自分で作った味噌はほんとうに美味しくて、よほどの急ぎでなければお味噌汁も作るようになった。

家で焼肉をしたいけれど、焼肉のタレがない。買いに行ってもいいけど、焼肉のタレってなんか後に残って好きになれない感じ。BBQのときは別だけど、家で食べるときはなんだかちょっと。もしかしてこれも自作できるのでは?と検索してみると、今家にあるもので十分にできることがわかった。それで実際作ってみたら、すごく美味しかった。

そうしているうちに、いつもこれを使うという基本調味料(さしすせそ・油など)や調理道具も決まって行った。

だんだんとそうめんつゆもうどんつゆも自分で作ったほうが美味しくなった。ジャムもたくさん果物が手元にあるとトライしてみる。はじめていちごジャムを作ったときはこんな美味しくて楽しいことを瓶入りで買って済ませるわけにはいかない!と思ったほどだった。

実家で果物を栽培するようになって、無農薬のレモンが届くようになったので、レモンカードを作るようになった。これまたパンにもヨーグルトにも合ってとても美味しい。梅干しもつくり、果実酒もつくり、パンも焼き、としているうちに、料理も楽しくなってきた。

そういう話を書いたのがこのあたりの記事だ。
https://note.com/hitotobi/n/nad964cbfd074?magazine_key=m7cd319992d4e

https://note.com/hitotobi/n/nca2a7c632d16?magazine_key=m7cd319992d4e

https://note.com/hitotobi/n/n5ffb02a168b4?magazine_key=m7cd319992d4e


これはもちろん「やらないと手を抜いている」ということではない。
お金を出して買うこともできる。買うのがダメなのでもない。
選べばよい。
でも自分でも作れるということを知っている、忘れないようにしたい。
これが何と何でできているか、どういう工程でできるか、どういう仕組み・化学反応なのかを自分でもやって確かめてみることは、人間が正気でい続けるための手段だ。

わたしは自分が考えなくなることが怖い。ドレッシングがないからサラダができない、炊飯器がないからお米が炊けない、というふうに短絡的になることが怖い。実際そういう時期があったから。そういうときは生きている実感が薄くなってしまう。

自分で作ると自分の環境や嗜好に合ったものができる。
素材を選べる。
新たな世界を知ることができる。
たとえ失敗しても調整を試みられる。
その楽しい試行錯誤の連続が生きるということだという考えに至った。

またそのような、自分で作る生活をおざなりにしなければならないほどの過重労働からは、永遠に解放されたい。

マスタードを作ってみたいという意欲が湧いて、ボトルに仕込んだ日を書いて、できあがりを楽しみにして、こんなに美味しくできたと喜びあうの時間や関係を大切にしながら生きたい、とあらためて思った。