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社会人

男女格差って何?
無期懲役って何?
EU離脱って何?
弾劾訴追って何?
人工妊娠中絶って何?
特別養子縁組って何?

10歳の息子から毎日のように質問が飛んでくる。

「逃げないで応える姿勢をとる」という時期はとうに過ぎて、「的確に答える」ことが求められていると感じる。

問われることで、「よく知らなかった」と気づいて調べることもあるし、
話しながら「どうしてこうなっているんだろう」と考えが進むこともある。
一緒に話しながら深めていくこと、実際に「現場」に見にいくことも多い。

息子も日々学び、考え、行動している社会の一員だ。


わたしは「社会人」という言葉に強い違和感をおぼえて、去年から使うのを一切やめた。口にするのも、文章で書くのも。
社会人の定義は知らないが、わたしは、この言葉からは、「20代前半で、所属していた短大または大学などの高等教育機関を卒業して、就職して働いて"社会人"になる」というような前提やシステムを想像する。

この目に見えない前提や社会通念やシステムを解体して流動的にしたい。わたし個人はその大きく強いシステム自体を解体する力を持たないので、「社会人」という言葉を小さく解体することで祈っている。

わたしの知るごく狭い範囲でしかないけど、他の言語では「社会人」に相当する言葉は存在しない。そういう概念がない。

年齢と賃金労働を強くイメージさせるこの言葉は、発言権や生産性の有無と容易につながりやすく、危険だと考えている。例えば、子どもも障害のある人も社会に生きているにも関わらず。

また別の観点では、人間は一生学び続ける存在にも関わらず、「学生」「社会人」という呼称により、学びの機会が分断されてしまう。今や本業を持ちながら、働きながら大学で学ぶ人も多いというのに。

わたし自身は、大学在籍中に「就職活動」をしなかった。大学を卒業したあとにアルバイトをしながら学び、自分のタイミングで人生の軸をつくる仕事に就きはじめた。だから「この春から社会人です」というフレーズを使ったことがない。そういうわたしも、日本の都市部の4年生大学に18歳から22歳まで通ったことで、なんらかのバイアスははたらいている。

日常の中で何気なく使っている言葉が、何を意味しているのか、何を規定しようとしているのか、それによりどんなバイアスがかかるのか、できるだけ繊細に感度高くありたい。

そしてものによっては小さく積極的に解体を試みる。その積み重ねは、誰かを攻撃するためではなくて、自分の祈りとして行っている。