責任や罪を問い質して非難すること。
差別問題や表現規制の文脈では、「差別表現」を問題視する側が「差別表現をした」とされる人のところに集団で押し掛け、あるいは呼び出すことによって、「糾弾」側が圧倒的多数・有利である状況を人工的に作り出して、怒号と威圧によってつるしあげて謝罪や自己批判を引き出し、利益誘導や示威行為につなげようとするといった行為のことである。「確認」の名目で行われることもあった。
20世紀に部落差別反対運動最大級の組織である「部落解放同盟」が特に得意としており、同団体の勢力拡大の主たる手段とまでなっていた。
要するに現在のネットで問題となっている「キャンセル・カルチャー」を、原始的な手段で行っていたと考えると分かりやすい。
糾弾については、その前身といえる全国水平社の時代から、
と明言されており、部落解放同盟はこれをいわば盾に「糾弾」を通して勢力拡大を図ってきた。
しかしその実態は極めて暴力的かつ一方的なもので、同じ部落反対運動団体である全国部落解放運動連合会によって「差別事象にたいする全解連の方針」(1989年1月)などで厳しく批判されている。
部落解放同盟による糾弾の実態はあまりに暴力的かつ数を恃んだもので、「矢田事件」「八鹿高校事件」といった刑事事件までも引き起こしていた。そのあまりに一方的で人権侵害的な実態から、法務省人権擁護局すらも見るに見かねて1989年、「『確認・糾弾』についての法務省の見解」を発出した。その中で「そもそも、国の行政機関は、基本的には、民間運動団体の行動についての意見を述べるべき立場にないものである」としながらも、差別の解消という行政目的を達成する上で障害となっているものがあるとすれば、これを取り除くよう提言すべきことは当然である」と述べ、敢えて同見解を発出しなければならないほどであった。
これを見ても、旧来の「糾弾」が持っていた問題点は、現代のインターネットで繰り返される「炎上」「キャンセル・カルチャー」と基本的に同一であることが分かる。
なお部落解放同盟側は、1991年に「何を、どう糾弾するか」と題する文書で糾弾の正当化を図っている。
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