『公共広告と表現の自由』2023-04-29
前回までで取り上げた男女共同参画局の「性暴力」ポスターについて批判が集まったことに対し、次のような意見が出てきている。
さて、これらに対する回答は、次のような答えがAFEEの炬燵どらごんさんから簡潔に説明されている。
ここで炬燵どらごんさんが指摘しているのは、国家は法律や行政の目的を達するために広報活動を行うのであって、その手段の選択に人間の判断が介入するに過ぎないということである。
したがって裁量はあっても表現の自由そのものは観念できない。表現の自由が担保する巨大な価値は人間の「自己実現」であるが、それによって利益を得るはずの個人的人格を国家そのものには設定できないからだ。
平たく言えば、法律や行政の目的にそぐわないポスターを「いいや、俺はこう描きたいんだから、こう描くんだ!」と国家が言う、ということはできないのだ。
ここで喜び勇んで突撃してくるのが、少しだけ、ほんの少しだけ頭が回るらしく「戸定梨香」を掲げてきた連中である。
よろしい。
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