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『生成AIと児童ポルノ、の本編』2024-06-29

※この論考およびその筆者は、現実の児童に対する虐待をいかなる場合にも肯定するものではありません。


 さて「児童ポルノ規制もまた、被写体である実在児童が映った、児童の人権を守るための規制のみが許される」ということになった。

 しかし、そういうことになると反AI派は妙なことを考え出した。

「そうか! 実在児童が映ってる写真なら悪者にできるんだな! ……じゃあ、画像生成AIはネット中の画像から学習してるんだから、実在児童ポルノもあるはず! そっから学習してるんだからAIもワルモノ!! 規制すべき!!」

 私の考えは逆である。

 そもそも反AI派が反AIである理由はなにか。
「いくらでもAIが絵を作れるなら、人間が作ったアートの需要がなくなり、絵師の仕事を奪ってしまう」ということのはずだ。
 であれば、AIによって小児性愛者の嗜好を満たすような画像が幾らでも作れるというのなら、被写体に現実の児童を用いた児童ポルノへの需要は低下するはずである。
 しかも、あそこまで反AI派が必死になるほど著しく低下するのである。

 つまり、実在の児童が守られるのだ。

 もちろんそれによって、私たち「ノーマルな」人間にとっては気持ち悪いロリペド画像が、ネットには従来より多く氾濫することになるだろう。そのような画像に不快感を覚える感覚は、私も同じだからよく分かる。
 だが、実在の児童を守るためと、我々一般人の「気持ち悪い」という感情で、後者を優先させるなら、我々は児童性虐待者を非難することさえできなくなるだろう。
 なぜなら、実在児童を自分の心情の犠牲にしようということだからである。その心情が、虐待者は性欲でああり、我々は嫌悪感であるという違いだけだ。
 もし私たちが、自分の嫌悪感のために、現実の子供たちが児童ポルノの被写体となることを減らす選択を選ばないなら、それはむしろ「負の小児性愛者」とでも言うべきものではないだろうか。
 なんといっても私たちはいくらでもそんなものから目を反らすことができるのだ。

 ちなみに、現在の日本法に基づくかぎり、生成AIの運営企業がAIに画像を自動収集させる行為は「単純所持」罪にはあたらないというべきだろう。
 なぜなら児童ポルノ法の単純所持罪は「自己の性的好奇心を満たす目的で」「自己の意志に基づいて所持するに至る」ことが条件になっているからだ。

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