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『遺族棒との打ち合い方』2023-05-31
前回と前々回のシンカ論マガジンだけでなく、センサイクロペディアを入れれば3回も、木村響子氏の決めつけに始まる『推しの子』バッシング問題を扱ってしまった。
読んで頂ければわかるが、私は基本的に「子供を持つ親」であることを盾にした表現へのバッシングや規制論に極めて否定的である。というかなんなら「子供のため、が本当の動機として作られた表現規制はこの世にない」とまで思っている。
>自分達の理屈で子供を育ててる親御さんの不安を解消できると思いますか?
— HitoShinka -ヒトシンカ-@『センサイクロペディア』『シンカ論マガジン』 (@hitoshinka) March 20, 2019
実在しない物を解消するのは不可能ですね。本当に「子供のため」表現規制を叫んでいる親なんて存在しない。彼らが大事なのは「世間より意識の高いアテクシ」という妄想的プライド。子供ではない。https://t.co/foKACaBQox
子供を守るための表現規制なんて一切存在しないですよ。全部「自分が」嫌いなものを排除するために子供をダシにしてるだけ。
— HitoShinka -ヒトシンカ-@『センサイクロペディア』『シンカ論マガジン』 (@hitoshinka) December 18, 2019
「子供を持つ親」なんて、自分が嫌いじゃないのにガキだけが嫌がった時には「ゴチャゴチャうるせえ!」「我侭言うな!」とうざがって殴るだけですよねw
@TCipjuzbbcKwtVU https://t.co/iiEmLSY8l8
われながら言い切るな、俺w
まあつまり、その子が死んでるという程度のことでは、こいつら”子供を持つ親”さま連中がのたまう「この表現はダメデス!!」に対する私の信用は百兆分の1Åも向上しないわけである。
そして、木村響子氏が被害者遺族として有名である以上、この事件は、はっきり言って「使える」。
なぜなら彼女が"親"としての叫びとして、完全に反証された、まったく間違ったことを述べたということは、この種の”親の声”に信用を担保する効果など全くなかった、という説得力ある実例となるからだ。
早い話が、「草津」新井祥子の”子供を持つ親”バージョンとして、末永く利用させていただこうということだ。
しかし、本件について、一部の人から根強く返ってくる反応のひとつが「そうはいっても、遺族を叩くのはよくない」というものだ。
そういった声には、道徳的なものもあれば「被害者遺族は社会的に贔屓されてるから敵に回したらヤバそう」という現実主義的なものもある。
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