『性嫌悪女性に「子どもへの愛」はあるか?(後半)』2023-11-28

 前回のnoteでフェミ講座から追い出されつつある話を挿入したので、今回のnoteは前々回からの続きになる。

 さて、今日は漫画の話から始めよう。

『終末のワルキューレ』という漫画作品がある。アニメ化もされている、かなりのヒット作だ。
 お話の本筋としては、歴史上の武人・英雄たちが人類の存続をかけて、各宗教や神話の神々と格闘戦をおこなうという、いたって荒唐無稽な娯楽作品である。

 この作品で4番目に登場する人間側の戦士が、ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)である。言わずと知れた19世紀イギリスの連続殺人犯だ。
 対戦相手はヘラクレスだがここで紹介したいのはその戦いぶりではない。途中で語られたジャックの幼少期の物語である。

 この漫画の中でのジャックは、売春婦の子として生まれた。
 職業がら妊娠と堕胎を繰り返していた母親だが、なぜか彼だけは出産することを選び、驚くほど愛情深く育てていた。ジャックはスラム街での荒んだ環境の中でも、母との絆を心の支えにして健気に生きていた。彼には「人間の感情の色が見える」という超能力があり、母が自分に見せる愛情の色だけが、彼の知る周囲の人間達の薄汚い怒りや憎悪の色と違った、ただ一つの美しいものだった。
 しかし彼が少年の頃、ジャックは母が部屋で号泣しているのを目にする。母の売春婦仲間によると、新聞に載っているある男と貴族令嬢が結婚したニュースを見た途端のことだったという。
 男は母がかつて春を売った客だった。その男に彼女は寝物語に「作家として成功したら結婚しよう」と約束を交わされており、愚かにもそれを真に受けた彼女は、それを夢見ながら、その男との子だと思ったジャックだけを育て続けてきたのである。
 懸命に母を慰めようとするジャックに、逆上した母親は真実を告げる。母にとってジャックの存在意義はその男とのつながりでしかなく、彼自身はこれまで堕胎されてきた他の胎児たちと同じ無価値な存在であることを。

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