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【差別に意図は関係ない】

 いったん「差別表現」だと思い込んでバッシングを始めた表現物に対して、何ら差別的意図を持たないその表現物の真意を説明されてしまったとき、攻撃側が失敗を誤魔化すためのフレーズ。
「差別」のジャンルが人種・性別・出身等いずれであるかを問わず、反差別運動家というものは「差別表現」叩きに際し、予告編や広告、関連商品に記された文言などの断片的情報から「差別」を憶測して、直ちに仲間を動員してクレーム攻撃にかかる、という習性がある。そのため誤爆率は非常に高いが、仲間や社会の手前そのときには既に引っ込みがつかなくなっていることが多いのである。

 そのために真意を説明してくれている人に対して、「差別に意図は関係ない!これは常識だ!少しは勉強しろ!」「意図せずやってしまうこと自体が差別的である証拠だ!」などと開き直るという事態が往々にしてあるどころか、常套句にまでなっている。

用例:

 しかし本当に差別に「意図は関係ない」のであろうか。
 全国水平社は1931年12月10日の第10回大会において「言論・文章による『字句』の使用に関する件」と題する決定を行っているが、その中に次のようにある。

 吾々は如何なる代名詞を使用されても、その動機や、表現の仕方の上に於いて、侮辱の意志が―身分制的―含まれてゐる時は何等糺弾するのに躊躇しない。
 然れども、その反対に「エタ」「新平民」「特殊部落民」等の言動を敢へてしてもそこに侮辱の意志の含まれていない時は絶対に糺弾しべきものではないしまた糺弾しない。この点徹底せしめるべく努力せねばならぬ。

「言論・文章による『字句』の使用に関する件」

またこれに先立つ全国水平社決議(1922年3月3日)でも、

一、吾々に對し穢多及び特殊部落民等の言行によつて侮辱の意思を表示したる時は徹底的糾彈を爲す。

「全国水平社決議」

 と明言され、本質が「侮辱の意思」にあることを明示している。
 さらに1952年、部落解放同盟委員長であった松本治一郎は『週刊朝日』での対談で次のように発言している。

「部落」と書こうが「エタ」といおうが、問題じゃないんです。その前後が問題です。なんかの時にそういう言葉を使わなきゃならんことがあるが、その前後に差別の意味が加わってさえいなけりゃ、少しも問題はないわけですよ。それを糺弾するというのは、ことさらためにしようとするハシッパ(下っぱ)のもんです。本部にときどきそういう問題が持ちこまれることがあるが、それが正しくない場合は「こういうふうにやってもらいたい」というて話しとるんですがね、悪い奴にかかると、やっぱ(やっぱり)ヘンなことが生ずる。こりゃ水平社ばかりじゃないですけどね。

1952年7月27日『週刊朝日』「問答有用」

 このように、反差別運動においても当初は、差別表現は「被差別者」を貶め侮辱することが問題であること、すなわち「差別に意図は関係ある」ということが正しく認識されていたと言えるのである。

参考リンク・資料:

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