[読書メモ]『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿)

p10
1980年に経済企画庁(当時)が公表した『消費動向調査(独身勤労者調査)』を見てみよう。親元を離れて働いている30歳未満の若者のうち、エアコンを持っているのは9.9%に過ぎなかった。電気洗濯機で57.3%、掃除機でさえ47.9%だった。エアコンがない生活なんて想像できるだろうか。/テレビも白黒テレビが21.5%、カラーテレビは67.3%、テレビ録画機にいたっては1.1%だ。信じられるだろうか。30年前の若者たちは、まだテレビを白黒で見ていた人も多かったのである。まだまだテレビは高価なものだったのだ。親元で暮らしている人で自分用のテレビを持っている人は、白黒とカラーを合わせても五割程度だった。

p18
若者を語る時、好んで用いられる小話がある。「近頃の若者はけしからん」と書かれた出土品が何千年も前の遺跡から発掘された、というものだ。舞台はメソポタミアであったり、エジプトであったりバリエーションがあるのだが、一度は耳にしたことのある人も多いのではないだろうか。

p22
自分語り(当事者言説)

pp104-105
コンサマトリーというのは自己充足的という意味で、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のことだ思ってくれればいい。

pp109-110
社会学では「相対的剝奪」と言うのだけど、人は自分の所属している集団を基準に幸せを考えることが多い。

p118
ブロガーなどの「観察系」の人々

p132
社会学はこんな時、かっこよく「想像の共同体」という言葉を使う。一度も出会ったことがないはずなのに、「日本人」というだけで仲間という意識を持てる。一度も行ったことがない場所でも「日本」というだけで自分の国と考えることができる。「日本」や「日本人」というのは、「僕たち日本人」とみんなが想像することで成立しているのである。

p133
江戸時代は大名行列でさえ、みんなが適当に歩いていたという。腕を振って歩く習慣もな右足と同時に右肩を出すナンバ歩きが普通だった。

p140
節税対策としてのパーマネント・トラベラー(終身旅行者)も、富裕層を中心に注目を集めている。

p171
「日本」のために行動するのに、本当は「右翼」か「左翼」かなんて関係ない。

p218
リーダーの不在や危機管理体制の甘さ、硬直化した官僚組織の弊害、中央と地方の関係、請負労働の問題などは、三月一一日に突然出現した問題ではなくて、日本が前から抱えていた爆弾のようなものだ。

p245
日本において、若者の貧困が顕在化しない大きな理由の一つに「家族福祉」があると言われている。若者自身の収入がどんなに低くても、労働形態がどんなに不安定でも、ある程度裕福な親と同居していれば何の問題もないからだ。

p249
現代日本には、恋人や友人に依存しない形で、僕たちの承認欲求を満たしてくれる資源が無数に用意されている。しかも、結果的にそれは広義の「友人」を増やすツールにもなる。

pp252-253
上野千鶴子(四五歳、富山県)はかつて「選べない縁」を批判しながら、「選べる縁」として「無縁」のことを「選択縁」と呼んだ。「無縁社会」を「選択縁社会」と呼び変えると、何だか悪いものではない気がしてくる。

p260
移民労働力の受け入れを拒否し続けてきた日本では、「女性」に加えて「若者」を二級市民として扱うようになった。

p261
そのうち、Googleから検索ウィンドウが消える日が来るかも知れない。過去の自分の行動履歴をもとに、あらゆる情報はリコメンドされる。Amazonは、本の読むべき箇所までを推薦してくれるかも知れない。


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